田中哲郎裁判官の軌跡を検証する、電磁波裁判と読売裁判を担当して九州各地を転々、最高裁事務総局に責任はないのか?
読者は、田中哲郎裁判官の名前を耳にしたことがあるだろうか。田中氏の裁判官としての経歴を調べてみると、好奇心を刺激する事実がある。携帯電話基地局の撤去を求める訴訟が起きている九州地区内の裁判所へ赴任しては、原告住民を敗訴させる判決を下してきたのである。
わたしが原告となった対読売裁判では、途中から裁判長に就任して、読売に一方的に有利な裁判進行をおこなった事実もある。
裁判官の人事権は、最高裁事務総局に握られているので、田中氏だけを批判するわけにはいかないが、少なくとも田中裁判官の軌跡は記録しておくべきである。
田中裁判官の勤務歴は、「裁判官検索」によると次のようになっている。
http://www.e-hoki.com/judge/1767.html?hb=1
田中裁判官が最初に携帯基地局関連の訴訟を担当した裁判所は、熊本地裁
である。「平成13(2001年)」年4月1日から、「平成17年9月7日(2005年)」の間の在籍期間に、携帯基地局の撤去を求める2件の訴訟の裁判長を務めている。
2件の訴訟とは、沼山津訴訟と御領訴訟である。いずれも被告は九州セルラー(現KDDI)だった。これら2件の裁判で田中裁判長は「平成16年(2004年)」6月25日に、住民側敗訴を言い渡した。
その後、田中裁判長は福岡地家裁久留米支部へ異動になる。
当時、福岡市の福岡地裁では、NTTドコモに対して住民グループが携帯基地局の撤去を求める三潴訴訟が進行していた。裁判は2005年10月7日に結審の予定になっていた。原告弁護団は、公害訴訟で有名な馬奈木昭雄弁護士を弁護団長とする強力なメンバーで、勝訴の自信をみせていた。
ところが結審の直前になって異変が起こる。裁判長が交代になったのだ。新しく裁判長になったのは、田中哲郎氏だった。既に述べたように、田中氏が配属されていたのは、同じ福岡地裁とはいえ、福岡県中部の久留米市にある支部である。久留米支部から、わざわざ福岡市まで足を運んで、結審直前の三潴訴訟を担当することになったのである。不自然きわまりない裁判長交代だった。
三潴訴訟の判決は、2006年2月24日に言い渡された。原告住民の敗訴だった。住民にとっては、嫌な予感が的中したことになる。
◇対読売裁判では本人尋問を拒否
余談になるが、わたしは田中裁判長と面識がある。田中裁判長の人間性をよく知るひとりである。本題からそれるので、簡潔に述べるが、わたしが読売新聞社に対して起こした「反訴」裁判の裁判長を途中から担当した人物である。
2007年12月から2009年7月までの約1年半の間に、読売はわたしに対して仮処分申立てを含めると4件の裁判を起こして、総額で約8000万円のお金を求めてきた。
これに対してわたしは、これらの訴訟が「一連一体の言論弾圧」という観点から、読売に対して5500万円の支払いを求める裁判を起こした。弁護団は、馬奈木弁護士のほか、「押し紙」問題で有名な江上武幸弁護士らで結成された。
読売側の弁護団は、「人権派」の看板を掲げる自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士ら4名だった。名誉毀損裁判や著作権裁判のエキスパートである。薬害エイズ事件の安部英氏やロス疑惑事件の三浦和義氏らを無罪にした実績もある。
◇読売裁判も担当
裁判は平穏に進行するかと思われた。ところがこの裁判でも、途中で裁判長の交代があった。「平成22年(2010年)」4月1日に田中哲郎氏が、福岡地裁久留米支部から福岡地裁へ赴任してくると、対読売裁判の裁判長に就任したのである。不自然な裁判長交代だと感じたが、深くは考えなかった。
さらに田中氏は、「押し紙」の有無が争点になった平山裁判(販売店VS読売)も担当した。平山裁判はもともと、仮処分申立てというかたちで、久留米支部ではじまった。仮処分申立の第1審は、平山氏が勝った。ところが第2審で田中氏が登場し、平山氏を逆転敗訴させ、読売に軍配を上げたのである。
平山氏は、久留米支部ではなく、福岡地裁で本訴を起こした。ところが田中氏が福岡地裁へ赴任してきて、平山裁判を担当したのである。
わたしの対読売裁判で、田中裁判長は驚くべき態度にでた。わたしが執筆した陳述書を受け付けようとはしなかったのだ。弁護団の抗議で、最終的には受け取ったが、当初は、陳述書の受け取りを拒否したのである。
さらにわたしの本人尋問も開かないことを宣言したのである。これについても弁護団が厳重に抗議したが、結局、抗議を受け入れることなく結審してしまい、わたしを敗訴させたのである。不自然な裁判だった。
平山裁判でも田中氏は、読売を勝訴させた。「押し紙」は存在しないと認定したのである。
◇福岡高裁宮崎支部へ赴任
さて、この田中裁判官は、その後、どの裁判所へ赴任したのだろうか。結論を先に言えば、福岡高裁宮崎支部である。
「平成25年(2013年)」4月20日に福岡高裁宮崎支部へ赴任すると、延岡市の住民が携帯基地局の撤去を求めた延岡大貫訴訟の控訴審を担当したのである。もちろん今回も、裁判長を交代するかたちで、裁判にかかわってきたのである。原告団や弁護団が不信感を募らせたことは言うまでもない。
この裁判は9月に結審する。原告住民が敗訴する可能性が極めて強い。
裁判官の人事権を握り、暗黙のうちに判決の方向性を決めているのは、最高裁事務総局であると言われている。元裁判官で、最高裁事務総局にも在籍した体験を持つ瀬木比呂志氏は、『絶望の裁判所』(講談社現代新書)の中で、法科大学の学生の多くが、「最高裁や事務総局の意向に沿わない裁判官が冷や飯を食っているって本当ですか?」などと質問したことを取り上げ、次のように指摘している。
私は、学生たちの質問に対して、胸を張って「いや、そんなことは全然ないよ」とは、到底答えられないのである。
携帯基地局の撤去を命じる判決が、無線通信網の整備を国策としている政府に刃向うものであることはいうまでもない。田中哲郎裁判長が九州各地を転々としながら、国策に沿った判決を書いてきた事実は、司法の在り方にも大きな疑問を投げかける。
また、読売裁判を担当したことは、マスコミ企業と国家権力の関係を考える糸口になる。
「何のために裁判官になったのか?」
「知的な力を社会正義の実現に使ったことはあるのか?」
そんな疑問が残るのである。
※写真:福岡高裁宮崎支部。出典はウィキペディア。