1. 日本の裁判は本当に公平なのか?疑惑が多い新聞社がらみの裁判

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2020年08月05日 (水曜日)

日本の裁判は本当に公平なのか?疑惑が多い新聞社がらみの裁判

既報したように、東京地裁で行われている産経新聞を被告とする裁判で、なぜか5月に裁判官の交代があった。この裁判は3人の裁判官から成る合議制で、審理の流れからして販売店側の勝訴がほぼ確実とみられていた。3月に尋問があり、その後、裁判所が和解を勧告したが、和解は決裂して判決を待つばかりになっていた。

裁判所が和解を勧告したということは、産経側にいくらかの金銭支払いを命じる方向性を裁判官らが持っていることを意味する。原告の元店主を敗訴させるのであれば、結審して敗訴の判決を下せばそれで済む話しであるからだ。和解勧告は、いわば産経のための救済策である。

原告は、和解が決裂した時点で裁判は結審したものと思っていた。折りしも同じ時期に政府が、コロナウィルスの感染拡大を抑え込むための緊急事態宣言を出したので、東京地裁は閉鎖された。原告の店主は、裁判所から判決日の通知を待っていたのだ。

ところが通知がこない。そこでわたしが東京地裁に問い合わせたところ3人の裁判官のうち2人が人事異動になったことが分かった。つまり別の裁判官が判決を書くのだ。裁判所の書記官に、

「これは最高裁事務総局による報告事件ですか」

と、尋ねてみたが、明快な回答はなかった。報告事件とは、書記官が審理の流れを最高裁事務総局へ報告し、それを受けて最高裁が判決の方向性を決める裁判である。事務総局の意に沿った判決を書かせるために裁判官を交代させる。政治判断による判決だ。癒着の産物にほかならない。

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わたしはこれまで数々の裁判を経験したり取材してきたが、報告事件の疑惑がある裁判も少なくない。

最近では、滋賀医科大医学部付属病院を4人の患者が起こした裁判がある。手術の手技訓練のモルモットにされたとして提訴したものである。

岡本圭生医師が患者の保佐人に就いていたこともあって、裁判は明かに患者側が有利だった。

ところが裁判が結審した後、なぜか3人の裁判官のうち2人が交代になった。そして患者を敗訴させる判決を下したのだ。判決を読んでみて、すぐに報告事件だと分かった。論理が破綻していたからだ。事実認定と判断がまったく整合していなかったからだ。

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読売を被告とした第2次真村裁判も明らかにおかしいと感じた。真村裁判は、販売店主が地位保全を求めて提訴した訴訟である。第一次裁判は、原告・真村さんの勝訴だった。2007年に最高裁で判決が確定した。

ところが読売は、その約半年後に強引に真村さんの販売店を改廃した。そこで再び真村さんは、地位保全裁判を起こした。これが2次裁判である。

一方的な改廃だったので、真村さんは最初に仮処分を申し立てた。この仮処分を担当した裁判官のひとりに木村元昭裁判官がいた。木村裁判官は、真村さんの地位を保全する決定を下した。その後、沖縄地裁へ異動になった。

一方、本訴の一審は真村さんが敗訴した。読売による改廃が正当とされたのだ。改廃を正当化する理由のひとつに、真村さんが「黒薮」に情報を提供したことなども含まれていた。

真村さんは福岡高裁へ控訴した。するとまもなく沖縄地裁から、木村裁判官が赴任してきて、真村裁判の裁判長になった。そして真村さんを敗訴させたのである。木村裁判官は、仮処分申し立てでは真村さんを勝たせて、控訴審では敗訴させるという矛盾した技を堂々とやってみせたのだ。

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第2次真村裁判の時期に、わたしは読売から立て続けに3件の裁判を起こされ、総額で約8000万円の金銭請求を受けた。そこでこれら3件の裁判は、「一連一体の言論弾圧」にあたるとして、逆に5000万円の損害賠償を求める裁判を福岡地裁で起こした。

地裁判決を担当したのは、田中一郎裁判官だった。田中裁判官はわたしを敗訴させた。そこでわたしは福岡高裁に控訴した。するとわたしの控訴審裁判の裁判長に木村裁判官が就任した。そしてわたしを敗訴させたのである。大企業によるフリーランスライターに対する8000万円の請求が言論弾圧にならないはずがないのだが。

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読売がわたしに対して起こした3件の裁判は、最初の裁判がわたしの完全勝訴。2件目は、地裁、高裁はわたしの勝訴。しかし、最高裁が口頭弁論を開いて、判決を高裁へ差し戻し、わたしの敗訴となった。

3件目は、地裁から最高裁までわたしの敗訴だった。

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前出の田中一郎裁判菅は、1990年代から2010年ごろにかけて九州で多発した携帯電話基地局の撤去を求める裁判でも、「大活躍」した。最初に熊本地裁で2件の裁判を担当した。そして2件のいずれの裁判でも住民を敗訴させた。

同じころに福岡地裁でも、携帯電話基地局の撤去を求める裁判が進んでいた。この裁判は、辣腕の馬奈木昭雄弁護士が原告代理人を務めていたこともあって、原告が圧倒的に有利だった。ところが結審の日に裁判長が交代になった。田中裁判官が新裁判長に就任して原告を敗訴させたのだ。

さらに当時、宮崎県でも基地局撤去の裁判が進んでいた。地裁は原告の敗訴。しかし、基地局周辺で健康被害が出ていることは認定した。当然、原告は控訴した。すると田中一郎裁判が控訴審の裁判長に就任した。結果は、最初から明らかだった。住民の敗訴である。

日本の法曹界は、発展途上国のレベルではないか。

司法ジャーナリズムの責任は重い。