横浜の副流煙裁判、合議制へ、原告が宮田幹夫博士の説を我田引水に解釈、論理に破綻
横浜の副流煙裁判が合議制になった。合議制とは、3人の裁判官により審理を進めて判決を下す裁判の形式を意味する。通常、裁判官は1名だが、事件の重大性に鑑みるなど、何らかの理由で合議制になることがある。
今回、横浜地裁が副流煙裁判に合議制を採用した背景はよく分からない。わたしの推測になるが、裁判所自体がこの案件の処理方法がよく分からないのではないかと思う。
裁判の争点は、被告の自宅を発生源とする可能性のある煙草の副流煙が、原告一家3人(夫妻と娘)の化学物質過敏症の原因になったか否かである。原告は、被告の副流煙を化学物質過敏症の原因としてあげ、4500万円もの金銭支払いを求めている。
化学物質過敏症という病名が市民権を得たのは、最近のことである。北欧ではすでに認められ、保険が適用されている国もあるが、日本では北里研究所病院など少数の例外をのぞいて、化学物質過敏症の認定は行われていない。国も認定には消極的な立場だ。
化学物質過敏症の実態は、ほとんど知られていない。普通の病院へ行っても、「化学物質過敏症」という診断を受けることはない。
北里研究所病院における化学物質過敏症の著名な研究者が、この裁判で原告に肩入れしている宮田幹夫博士である。
◆電磁波過敏症と化学物質過敏症
宮田氏は実は電磁波過敏症の専門家でもある。電磁波過敏症と化学物質過敏症は、実は両輪のような関係になっていて、宮田氏はむしろ電磁波過敏症の権威として知られている。しかし、電磁波過敏症は、病気としては公式に認められていない。そこで電磁波過敏症の患者が北里を受診して、診断書の作成を求めると、病名が「化学物質過敏症」と記される。
こうした疑問点はあるものの、電磁波や化学物質による過敏症の研究者として宮田氏が一流であることは疑いない。
横浜の副流煙裁判では、原告の山田義雄弁護士が、宮田博士にインタビューして、その内容の一部を根拠として、原告の3人が化学物質過敏症であるとの主張している。
◆宮田氏の論文『環境に広がるイソシアネートの有害性』
山田義雄弁護士の最大の過ちは、原告が化学物質過敏症になった原因を被告家族を発生源とする煙草の副流煙に限定している点である。しかし、宮田氏の一連の著書や論文を読めば分かるが、宮田氏は化学物質過敏症の原因を煙草の煙だけに限定しているわけではない。煙草の煙は数ある原因のひとつという立場である。
たとえば宮田氏は、『化学物質過敏症』の中で、家の中の汚染空間について次のように述べている。
家の中を見まわしてみても、汚染物質濃度が異なっている可能性がある居間、寝室、台所、トイレ、風呂場などがある。家の中だけでも少なくとも5ヵ所。
しかも、汚染による人体影響の原因が20年前にまでさかのぼることもあるのだという。時間の経過が、人体影響を軽減するとは限らないという。次の記述だ。
神経組織というのは、一カ所傷み出すとだんだん傷むところが広がってくるという傾向がある。ですから、若い頃にシンナー遊びをやった子供たちが、10年後、20年後に、脳の萎縮がさらに進んでいるケースもあります。
さらに宮田氏の論文『環境に広がるイソシアネートの有害性』によると、イソシアネートが化学物質過敏症の主要要因のひとつとして位置づけられている。論文によると、化学物質過敏症を引き起こすイソシアネートを含む有力な商品として、次のものが明記されている。
【建築材料】 断熱材、接着剤、塗料、鉄骨・手摺り錆止塗料、改質アスファルト、改質漆喰、変性コンクリート、セメント、モルタル、窓枠・浴槽・水周りのシール、配管接続材、屋根・外壁・水周りの防水工事、室内床材、集成材(合板、パーチクルボード)、ブロック塀目地、舗装表面積層接着剤
【家具】絨毯裏ゴム、スポンジ・クッション等発泡材、集成木材接着剤、表面塗料など
【家電】 洗濯乾燥機・貯湯式湯沸かし器などの断熱材、各電気器具の基盤、トランス等の絶縁材料、コード被覆、塗料、シーラントなど
【自動車】 タイヤ、バンパー、ワイパー、内装材、シーリング剤、トップコート、プライマー、補修用塗料
【衣料】繊維(スパンテックス・弾力繊維)、保温繊維、繊維加工剤(起毛・形状保持・防水など)
【文具】印刷材料、紙の表面加工、製本背綴じ、接着剤など
【医療材料】歯科材料、ソフトコンタクトレンズ、マットレス、手袋、弾力包帯、チューブ、医療機器ホース等
【一般材料】熱硬化性成型材料、シーリング剤、ゴム
生活の中に、原因物質があふれているのだ。
◆何を根拠に煙の発生源を「被告」と敵示したのか?
化学物質過敏症の因子は、あまりにも多くて、特定のものに限定できないというのが実態なのである。ところが山田弁護士は、煙草の副流煙だけに限定して、宮田氏の説からそれに合致する部分だけを強調し、あたかも被告家族の副流煙が化学物質過敏症の原因だと立証不可能な主張を展開している。
化学物質過敏症の全体像を理解していないひとが、奇論を唱えているような印象を受ける。
だから提出されている証拠資料も、化学物質過敏症とは何かを客観的に示しているものよりも、むしろタバコの害に関するものの方が多い。
わたしはこの裁判の取材で、事件の現場へ足を運んだ。その結果、興味深いことに、現場(団地)に自然発生的に生まれた野外の喫煙場があり、大量の煙草の吸い殻が散乱していた。
たとえ原告3人の化学物質過敏症の原因が副流煙だとしても、この喫煙場からの副流煙であった可能性もある。山田弁護士は、何を根拠に副流煙の発生源を被告宅に限定したのだろうか。それに同じ団地の他のマンションからの煙という可能性もある。さらに現場に接して幹線道路があり、そこからのスモッグもばかにならない。こうした現場環境にもかかわらず原因は、被告の自室でのタバコであると、山田弁護士は摘示しているのだ。
◆誰でもなりうる化学物質過敏症
既に述べたように化学物質過敏症の原因を簡単に特定することはできない。それを前提に原告の陳述書を読んでみると、興味ぶかいことに、原告が日常的に副流煙とは別の化学物質を被曝してきたことが分かる。たとえば、次の記述である。
私は、タバコだけでなく、合成洗剤、シャンプー、香料、布団や衣類、マスク等の化学繊維、家具、食器等、家の中の全ての微量な化学物質に、激しく反応し、臭いを吸った瞬間、常時口の中、舌、喉、食道、肺の痛みが増し、激痛が走り、呼吸困難、心臓発作を起こし、凄まじい苦しさです。(略)
微量な農薬、化学肥料を使った食品、水道水、ペットボトルに入った天然水すら、激痛が走り、激しい腹痛、呼吸困難、心臓発作を起こす日々は、耐えがたい、拷問の様な苦しみです。
過敏症を引き起こす商品が際限なく存在することを、原告が陳述書で認めているのである。が、それにもかかわらず山田弁護士は、原告の化学物質過敏症の原因を被告宅からの副流煙だけに限定しているのだ。
論理が破綻しているだろう。山田弁護士は、化学物質過敏症を誤解している。
◆実は原告がタバコを吸っていた
最後に、驚くべき事実を紹介しよう。
既に述べたように、裁判の争点は、被告自宅の副流煙が原告一家3人の化学物質過敏症を引き起こしたかどうかという点である。
ところが昨年になって、実は、原告の一人が元喫煙者であることが分かったのである。発覚の経緯は明かさないが、次のような陳述書を提出した。
私は、以前喫煙しておりましたが、平成27年春,大腸がんと診断され、その時から完全にタバコを止めました。(略)
私は、タバコを喫っていた頃は、妻子から、室内での喫煙は、一切、厳禁されていましたので、ベランダで喫煙する時もありましたが、殆どは、近くの公園のベンチ、散歩途中、コンビニの喫煙所などで喫煙し、可能な限り、人に配慮して喫っておりました。
「妻子から、室内での喫煙は、一切、厳禁されていました」というのだ。なぜか。妻子にとっては、副流煙が苦痛だったからだろう。体に過敏に反応していたからだろう。「ベランダで喫煙する時」もあったのだから、その副流煙が自宅に流れこんでいた可能性が高い。
原告は、一階下にある被告家族の煙が、自宅にちん入していたと主張しているわけだから、自宅のベランダで自分がタバコを吸えば、その煙が自宅へ流れ込むのはあたりまえだ。
時系列的にいえば、昔のことかも知れないが、被曝の蓄積という観点に立てば、説明が付く。
山田弁護士は、この裁判を取り下げた上で、被告に謝罪すべきだろう。取り下げだけではすまないだろう。