元「しばき隊」隊員で自由法曹団常任幹事の神原元弁護士が弁護士懲戒請求者らを提訴、エスカレートする差別をめぐる問題、訴訟社会の到来が言論の萎縮を招く危険性
ウエブサイト「弁護士ドットコム」が、9日、「『存在しない事実で懲戒請求された』神原弁護士が請求者を提訴」と題する記事を掲載している。
不当な懲戒請求によって名誉を傷つけられたうえ、その反証のために労力を費やさざるをえず、精神的苦痛を受けたとして、神奈川県弁護士会に所属する神原元弁護士が5月9日、懲戒請求をおこなった相手に対して、損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
弁護士の懲戒請求をめぐっては、あるブログが発端になって、神原弁護士以外にも、大量におこなわれていることが問題になっている。このブログは、朝鮮学校への補助金交付などを求める各弁護士会の声明に反発したもので、懲戒請求のテンプレートを配布していた。(略)
懲戒理由として、「違法である朝鮮学校補助金支給要求声明に賛同し、その活動を推進する行為は、日弁連のみならず当会でも積極的に行われている二重、三重の確信的犯罪行為である」などと書かれていたという。(略)
最高裁の判例では、事実上または法律上の根拠を欠く場合において、請求者がそのことを知りながら、または普通の注意を払えば知りえたのに、あえて懲戒請求していれば不法行為にあたる、とされている。日弁連によると、2017年だけで組織的な懲戒請求は約13万件あり、その多くが問題のブログに起因するものとみられる。■出典
◇路上から法廷へ
この記事が伝えているように、集団で懲戒請求を申し立てたのは、いわゆる「在日特権」に反対している右派の人々である。これに対して神原弁護士は、彼ら右派に対抗して在日の人々に対する差別をなくす運動を展開している広義の
「しばき隊」を支援してきた。
神原弁護士自身も、「狭義の(元)しばき隊隊員」である。自由法曹団常任幹事でもあり、左派系の新日本出版社から著書も出版している。
今回、神原弁護士が提訴したことにより、敵対する2つの勢力の衝突の舞台が、路上から法廷にまで拡大したことになる。右派の人々は、集団による懲戒請求という手段により神原氏らに圧力をかけた。訴訟が多発する実態にヒントを得た戦略だと推測できる。
これに対して神原氏は、裁判という手段に打ってでた。
現段階では、懲戒請求者全員が被告にされたわけではないが、かりに神原氏が勝訴した場合、次々と同じ主張の裁判が起こされる可能性が高い。それにともなって、神原氏が次々と賠償金を受け取ることが出来る構図になる。
実際に、裁判がどう展開するかは、現段階では分からないが、少なくとも、訴訟の提起が弁護士を経済的に潤す構図が生まれはじめていることは否定しようがない。提訴の一次的な目的が原告の権利の回復にあるにしても、副次的には、損害賠償金が莫大な額になる可能性があるのだ。これにより裁判戦略がさらに広がる恐れもある。
大半の人々が認識しないうちに、法律で言論・出版ががんじがらめにされる社会がじわじわと近づいてきたのである。
その意味で、筆者はこの裁判を注目している。
◇人権擁護と社会的正義実現という口実
神原弁護士の過去のツィートを検証したところ、反対言論に対しては、積極的に訴訟を提起する方針のようだ。たとえば、広義のしばき隊による「M君リンチ事件」を取材し、記事化している筆者に対しては、次のようなツィートを発している。「黒薮」の名前は出していないが、ツィートが投稿された同じ時期に、神原氏を電話取材したので、「件のフリーライター」が筆者を指していることは間違いない。(注:現在、神原氏は筆者からのアクセスをブロックしている)
もちろん、件のフリーライターが、裁判で無実が証明された人を記事で誹謗するなら、容赦なく法的措置をとる。冤罪被害者を守るため司法に救済を求めることをスラップ訴訟とは言わない。むしろ、人権擁護と社会的正義実現のために不可欠な訴訟であると断言できる。
鹿砦社に対しても、4冊の本の販売中止を請求する裁判の原告(李信恵氏)の代理人を務めている。
【参考記事・メディア黒書】李信恵氏が鹿砦社を反訴、『カウンターと暴力の原理』など4冊の書籍の販売禁止などを求める、誰が言論出版の自由を殺すのか ?
名誉毀損裁判の多発は、メディア黒書でたびたび問題視してきた。何が問題かといえば、たとえ反対言論に対する対抗処置として裁判を提起するのであっても、それが言論の幅を司法の判断に委ねてしまう結果を招き、ひいては息苦しい社会の出現に繋がることである。しかも、司法判断が正しいかどうかの検証には、時間を要する。間違った司法判断を下していることも多いのだ。
筆者は、今回のような不幸な事件を引き起こした最大の原因は、小泉内閣が着手した司法制度改革だと見ている。これが引き金になって名誉毀損などを口実とした訴訟が広がったのである。そしてそれがさらに拡大している。
そこから経済的な利益を得るとすれば、本来の司法制度の目的が二の次になりかねない。
筆者はこの問題について、自由法曹団がどのような見解を持っているのか知りたいと考えている。