1. 幻冬舎の見城徹社長が名誉毀損とした月刊誌『ZAITEN』の記述、高橋三千綱氏のコメントに関する論考、言葉狩りは自殺行為

司法制度に関連する記事

2018年03月16日 (金曜日)

幻冬舎の見城徹社長が名誉毀損とした月刊誌『ZAITEN』の記述、高橋三千綱氏のコメントに関する論考、言葉狩りは自殺行為

1月に幻冬舎の見城徹氏が経済誌『Zaiten』を発行する財界展望社を訴えた。請求額は500万円。ただし提訴時は1000万円。

訴因は、同誌の1月号の特集「安倍をたらし込む『新型政商』の正体、幻冬舎 見城徹 この顔に気をつけろ!」という総タイトルの下で、掲載された4本の記事である。見城氏のこれまでの軌跡、安倍晋三首相との関係、テレビ朝日の早河洋社長とのかかわり、見城氏の自宅に関することなどを記述したもので、20ページになる。

具体的に見城氏は、何をもって名誉毀損を主張しているのだろうか。名誉毀損としている多数の表現や記述の中から、ひとつの例を紹介しよう。筆者には、まったく名誉を毀損しているとは読めないのだが。

ちなみに名誉毀損裁判では、「一般読者の通常の注意と読み方」をした時、これらの記述が名誉を毀損しているか、あるいはプライバシーを侵害していないかが争われる。「一般読者の通常の注意と読み方」という抽象的な判断基準が設けられているわけだから、当然、読者が受ける印象も異なる。

◇芥川賞作家・高橋三千綱氏のコメント

次の引用が見城氏が名誉毀損としている記述のひとつである。

「『見城は大して小説を読んでいませんでしたよ。大江健三郎もひよっとしたら1、2冊は読んでいたかもしれないが、ほとんど読んでいなかったはず』
 26歳で群像新人賞、30歳で芥川賞を受賞した高橋の読書量に比べるのは酷かも知れないが、見城の世代ならば読んでいて当然の作家である大江を読んでいなかったというのは驚きである」

この記述が名誉毀損に該当すると主張する理由として、訴状は次のように述べている。

「一般の読者の通常の注意と読み方に従えば、原告見城が原告見城の世代であれば読んでいて当然の大江健三郎の作品をほとんど読んでおらず、読書量が少なかったという印象を与えるものである。

原告見城が原告幻冬舎の創業者かつ代表取締役であり、原告幻冬舎は数多くの小説を出版していることに鑑みれば、その創業者の読書量が少なく、その世代が読んでいて当然の作品すら読んでいなかったという事実は原告見城の出版社代表取締役としての資質と能力に対して疑義があるとの印象を与えるものであり、ひいては原告幻冬舎の企業としての資質にも疑義があるとの印象を与えるものであって、原告らの社会的評価を著しく低下させるものである」

確かにこの記述だけを読めば見城氏の名誉を毀損しているような印象もあるが、記事全体を読むと別の感じかたが優勢になるだろう。高橋氏はこのコメントのすぐ後に、「見城は、作家と一緒に自分も盛り上がりたいという情熱に関しては普通の編集者の3倍は持っていましたね。その資質は間違いなく稀有なもので、また編集者には必要なもの。まさに編集者になるべくしてなった男」とコメントしている。

さらに、劇作家・つかこうへい氏の文章を修正して、「直木賞まで獲らせた。だから、つかの小説に関しては全部あいつが書いたと言っていいくらいだと思う」とまで述べている。記事全体を読めば見城氏が職能に劣る人間とは読みとれない。少なくとも、筆者はそんなふうな記述に感じた。

一体、幻冬舎の弁護士は、名誉毀損とする記事全体を丁寧に読んでから提訴したのか、疑いたくなるのである。

なお、見城氏側が名誉毀損的な表現として指摘した記述には、第3者のコメントが引用されているものが多い。その大半が匿名だが、コメントを寄せた人々が法廷でコメントの真意を証言するかどうかが、裁判のひとつの鍵になりそうだ。

◇ジャーナリズムの凋落

この程度の記述を名誉毀損とするのなら、言論活動は実質的に不可能になるだろう?「行儀」のいいつまらない出版物や「ちょうちん記事」ばかりがあふれ、ますます出版業界は衰退するだろう。

言論で生活している者が、他人の言論に対して安易に名誉毀損裁判を起こしたり、BPO(放送倫理・番組向上機構)に勧告を申し立てたりする風潮は、言論の自殺行為である。「言葉狩り」は、時代の逆行を招く。

言論の問題は、世論の力で正常化するのが常識である。そのためにジャーナリズムが存在するのではないだろうか。