1. ユーチューブの閲覧制限が広がる、背景に忍び寄る言論統制

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2018年02月01日 (木曜日)

ユーチューブの閲覧制限が広がる、背景に忍び寄る言論統制

このところ言論を抑圧する動きが水面下で広がっている。ツイッターのリツィート1件に対して100万円を請求する裁判を起こすといった露骨なものもあれば、他人の名義を使ってメールで怪文書を流したり、さらには誰がやっているのか分からない言論妨害もある。

誰がやっているのか分からない言論妨害に関していえば、たとえばパレスチナやキューバから発信されたウエブサイトにアクセスできない現象が時々発生する。こんなことは以前はなかった。もっともこれは単純な技術上のトラブルである可能性もあるが。

冒頭に示したユーチューブの画像も、一時的に閲覧が出来なくなっていた。「年齢制限があります(コミュニティ ガイドラインに基づく設定)」いう表示がされていた。おそらくは残酷な画像として閲覧制限がかけられたのである。

そのガイドラインは次のように述べている。

コンテンツがすべての年齢層に対して適切であるかどうかを評価するときは、次のような事項を考慮します。

•下品で乱暴な言葉遣い
•暴力的でショッキングな映像
•ヌードおよび性的なものを暗示するコンテンツ
•危険な行為や不正な行為が含まれた描画

が、この画像は、極めて歴史的な意味を持つ画像にほかならない。ファシストが仮面を脱ぎ捨て、民衆に向かって容赦なく銃を発砲する素顔を、ジャーナリストが10分に渡り、命がけで撮影したものである。

◇エルサルバドル内戦

舞台は、中米エルサルバドル。1980年3月。オスカ・ロメロ大司教の葬儀である。当時、この国では、政府軍による暗殺や拷問が後を絶たなかった。

こうした状況の下で、エルサルバドルのカソリック教会は政府軍に対して批判的な姿勢を示していた。「貧しい人々に奉仕するのが教会の役割」という解放の神学の立場を貫いていた。その先頭に立っていたのがオスカ・ロメロ大司教で、ミサの場で、政府軍の暴力を厳しく批判していた。


そして1980年の3月24日、大司教を憎悪する軍は、ミサの最中に無音銃を使って大司教を射殺したのである。さらに大司教の葬儀に集まってきたおびただしい群衆に向かって、無差別に発砲したのである。

それから約半年の10月10日、エルサルバドルの5つのゲリラ組織が統一して、FMLN(ファラブンド・マルティ・民族解放戦線)を結成した。こうしてエルサルバドル内戦が始まったのである。政府軍は士気を喪失して、FMLNが首都を制圧するのは、時間の問題と言われていた。が、米軍が介入してきて、泥沼の内戦になったのである。

おそらく葬儀の場でのジェノサイド(皆殺し作戦)が、エルサルバドル内戦の直接の引き金だろう。もちろん、不公平な農地の配分による社会格差など社会運動の原因となる客観的な条件はあるものの、ジェノサイドにより平和的な解決は不可能であることがはっきりしたのである。その意味では、この動画は極めて重要な歴史の証言なのだ。内戦の原点にほかならない。ここからエルサルバドル内戦が始まったと言っても過言ではない。当然、閲覧制限をかける理由はどこにもない。

内戦は1992年に終わった。決着がつかないまま和平が実現して、FMLNは合法政党に生まれ変わった。そして、2009年に選挙により政権を取ったのである。現政権は2期目である。サンチェス大統領は、FMLNの古いメンバーである。

この画像を見れば、喧嘩両成敗という考えが間違っていることが分かる。誰が戦争の原因を作ったのか、はっきりと白黒をつけるのがジャーナリズムの仕事である。

一体、誰が言論に制限をかけているのだろうか?