1. 『人権と利権』の「差別本」認定事件、Colabo代表・仁藤夢乃氏と週刊金曜日・植村隆社長に質問状を送付、具体的にどの箇所を問題視したのか?❷

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2023年07月04日 (火曜日)

『人権と利権』の「差別本」認定事件、Colabo代表・仁藤夢乃氏と週刊金曜日・植村隆社長に質問状を送付、具体的にどの箇所を問題視したのか?❷

社団法人Colabo代表・仁藤夢乃氏が『週刊金曜日』に接触して、同誌が掲載した『人権と利権』の書籍広告に対して、「差別」を助長する本と認めさせ、株式会社・週刊金曜日が謝罪告知を行った事件の続報である。連載❶で述べたように、この広告スペースには、わたしの新刊書『新聞と公権力の暗部』の広告も掲載されていた。これら2冊の版元はいずれも鹿砦社である。当然、「押し紙」を告発したわたしの本のイメージダウンも招いてしまった。

そのことが主要な理由ではないが、わたしはこの問題を調査することにした。言論の自由、あるいは寛容性を考える上で看過できない問題を孕んでいるからだ。純粋なジャーナリズムの旗をかかげた週刊金曜日が特定の書物に対して、十分な調査をしないまま、仁藤氏からの外圧により特定の出版物に「差別本」のレッテルを張った事実は考察に値する。

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事実関係を調べるために、わたしは仁藤氏と週刊金曜日の植村隆社長に対して、次の問い合わせメールを送付した。いずれも『人権と利権』のどの箇所に問題があるのかを問うたものである。この点を明確にしなければ、議論が前へ進まない。

次の文面である。

仁藤氏宛て】
 はじめまして。貴殿にお尋ねしたいことがあり、連絡させていただきました。わたしはフリーランス記者の黒薮哲哉という者です。週刊金曜日が掲載し、貴殿が不服を申し立てられた『人権と利権』と同じスペースの広告で紹介された『新聞と公権力の暗部』の著者です。週刊金曜日が『人権と利権』を差別本だと判断し、それを謝罪という形で公にした影響で、「押し紙」問題を扱ったわたしの本の信憑性が低下するのではないかと危惧する声が寄せられました。そこで念のために教えていただきたいのですが、貴殿は『人権と利権』のどの箇所に問題があると判断されたのでしょうか。具体的に教えてください。また、なぜ最初に鹿砦社に抗議されなかったのでしょうか。今週中にご回答いただければ幸いです。(下記のメールまでお願いします。xxmwg240@ybb.ne.jp)

【植村社長宛て】
 はじめまして。貴社にお尋ねしたいことがあり、連絡させていただきました。わたしはフリーランス記者の黒薮哲哉という者です。週刊金曜日が掲載し、仁藤夢乃さんが不服を申し立てられた『人権と利権』と同じスペースの広告で紹介された『新聞と公権力の暗部』の著者です。週刊金曜日が『人権と利権』を差別本だと判断し、それを謝罪という形で公にした影響で、「押し紙」問題を扱ったわたしの本の信憑性が低下するのではないかと危惧する声が寄せられました。そこで念のために教えていただきたいのですが、貴社は『人権と利権』のどの箇所に問題があると判断されたのでしょうか。具体的に教えてください。今週中にご回答いただければ幸いです。(下記のメールまでお願いします。xxmwg240@ybb.ne.jp)

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ちなみにわたしはこれまで週刊金曜日とトラブルを持ったことはない。以前は、よく原稿を書いていた。社内には知り合いも在籍しており、良好な関係にある。しかし、最近の『週刊金曜日』の誌面には違和感を感じていた。

何に対して違和感を感じているのかといえば、ひとつには「差別問題」を報じるときの一方的なスタンスである。たとえば、『人権と利権』の謝罪告知を掲載した号に、ジャーナリスの安田菜津紀氏が「ツイッターにヘイトスピーチを投稿されたとして投稿者に損害賠償を求めた」裁判についての記事が掲載されている。タイトルは、「東京地裁は『差別的な表現』と認定、投稿者に賠償命令」である。執筆者は、沖縄タイムス編集委員の阿部岳氏である。

この記事に次のような記述がある。

「この男性(被告)は『深く反省している』と言って和解を求めた。裁判所も強く勧めたため、安田さんはやむかなく男性が誹謗中傷加害被害者のためのプログラムを受講することを条件に和解に応じた。」

阿部氏は和解交渉に際して、安田氏がとった措置を肯定的に報じているのだが、安田氏が「誹謗中傷加害被害者のためのプログラム」なるものの受講を和解の交換条件にしたことにわたしは戦慄する。1970年代に部落解放同盟浅田派が繰り返していた「差別者」に対する糾弾会を連想させるからだ。当時、差別者のレッテルを張られると大変な目にあわされた。

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『週刊金曜日』の同じ号に掲載されている3人の新聞記者による座談会(沖縄タイムス・阿部岳、神奈川新聞・石崎学、毎日新聞・藤沢美由紀の各氏)、「差別の背後にある政治を変えるため、それぞれができこと」に至っては、著しい取材不足を感じた。取材不足でないとすれば、故意に市民運動体に不利になる情報を隠したとしか思えない。

たとえば在日コリアンに対する差別問題についての座談では、カウンター運動を展開している人々の活動が肯定的に紹介されている。しかし、カウンター運動を語る場合、運動の一部に暴力的な体質があることにはまったく触れていない。単に運動を美化して、「レイシストは全員実名報道」にするなどと発言している。

一体、なにを以てレイシストと言っているのかは不明だが、わたしもカウンター運動によりレイシストのレッテルを張られた一人である。ネット上のリストにわたしの名前が出ていた。ツイッターに、「今夜もレイシストをやつけて酒がうまい」と言った呟きもあった。

カウンター運動が起こし、多くの知識人が隠蔽に奔走した「M君リンチ事件」を取材したことがその原因である。この事件は、2014年の深夜にしばき隊なるグループが、大阪市の北新地で起こしたものである。
内輪もめが引き金となって、M君を酒場へ呼び出し、瀕死の重傷を負わせたものである。裁判所も暴行の事実を認定している。

この事件を熱心に取材していたのが鹿砦社である。ところが鹿砦社は、取材の過程で次々と露骨な差別に遭遇する。たとえば、事件を起こしたグループのリーダーが記者クラブで開いていた記者会見への参加を拒否され続けた。また、鹿砦社やM君が記者クラブに会見を申し込んでも、認められたことは一度もなかった。

結局、新聞・テレビは、リンチ事件について何の報道もしなかった。事件を起こしたグループの代理人を務めていた神原元(自由法曹団常任幹事)は、リンチは無かったと主張しているが、裁判所の次の認定を読めば、それが事実であることが分かる。

【大阪高裁・判決引用】
被控訴人(注:李氏)は、本件傷害事件と全く関係がなかったのに控訴人により一方的に虚偽の事実をねつ造されたわけではなく、むしろ、前記認定した事実からは、被控訴人は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対し胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間であるAがMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。

本件において控訴人の被控訴人に対する名誉毀損の不法行為が成立するのは、被控訴人による暴行が胸倉を掴んだだけでMの顔面を殴打する態様のものではなかったこと、また、法的には暴行を共謀した事実までは認められないということによるものにすぎず、本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、AによるMに対する暴行については、これを容認していたという道徳的批判を免れない性質のものである。(控訴審判決、10P、裁判所の判断)
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これ以外にも、M君にあてた謝罪の手紙など多くの証拠がある。しかし、これらの事実は隠蔽して、逆に新聞・テレビはカウンター運動のリーダーの李信恵氏を反差別運動の騎士として熱心に報道した。

『週刊金曜日』が掲載した3人の新聞人による座談会は、まったくかつてのマスコミと同じスタンスでカウンター運動を美化しているのである。

このような脈絡の中で、週刊金曜日の植村社長が『人権と利権』に「差別本」のレッテルを張ったとすれば、『週刊金曜日』はラジカルな市民運動の機関紙に変質してしまったことになる。市民運動との距離がなくなっている。ジャーナリズムは終わった。