新刊『新聞の危機と偽装部数』、新聞経営者による妨害や言論弾圧がなければ11月中に書店配本
新刊『新聞の危機と偽装部数』(花伝社)が、11月の下旬に発売になる。これまでわたしは新聞販売の諸問題を扱った単行本を5冊出版してきた。6冊目にあたる新刊の最大の特徴は、「偽装部数」という言葉を採用したことである。
偽装部数とは何か? 新聞社は新聞販売店で過剰になっている新聞を次に示す3つのカテゴリーに分類している。
1、「押し紙」:新聞社が販売店に押し付けて、卸代金を徴収した新聞。
2、「積み紙」:販売店が折込チラシの水増し目的で、自主的に受け入れた新聞。
3、「残紙」:「押し紙」と「積み紙」の総称。
このようなカテゴリーが存在するものの、われわれ一般人は、「残紙」を指して「押し紙」と呼んでいる。社会通念からして、販売しない商品を好き好んで仕入れることはありあえないからだ。
言葉も時代の変遷や人間意識の変化と共に常に変化する。当然、辞書や書類の上で定義されている意味よりも、実生活の中で採用されている意味を優先するのが常識だ。しかし、裁判官は、現場を取材しないので、新聞社が示している言葉の定義が正しいものと勘違いしている。
その結果、販売店でいくら新聞が過剰になっていても、それが新聞社によって押し付けられたものである事を法的に立証しない限り、販売店は「押し紙」裁判で勝てない状況が延々と続いてきた。裏を返せば、新聞社はこのような裁判所の判断基準を熟知しているから、「押し紙」の意味を「新聞社が販売店に押し付けて、卸代金を徴収した新聞」に限定するのだ。
事実、「押し紙」裁判になると、新聞社は必ず「押し紙」の定義を明確に打ち出してくる。その上で、「新聞を押し付けた事実はないから『押し紙』は一部も存在しない」と主張する。
一方、販売店が折込チラシの受注を増やすために、みずから配達しない新聞を受け入れるケースが存在することも事実である。
つまり現在の「押し紙」裁判は、販売店で過剰になった新聞の責任が新聞社にあるのか、それとも販売店にあるのかを争う裁判である。
しかし、われわれ一般人にとって、過剰な部数の責任が新聞社にあるのか、それとも販売店にあるのかは、それほど重要ではない。最も重要しなければならない事実は、どちらのサイドに責任があるにしろ、新聞の商取引きの中で、公称部数が偽装され、紙面広告の媒体価値をかさあげする手口が日常化している点である。
それゆえに新刊書では、その原因となっている過剰な部数を指して、「偽装部数」という言葉を採用したのである。「残紙」を「偽装部数」に格上げしたのだ。
本書の内容は次の通りである。
改めて言うまでもなく、わたし自身の対読売裁判や第2次真村裁判の判決についての章も設けた。木村元昭(福岡高裁)裁判長、加藤新太郎(東京高裁)裁判長が下した判決を批判している。
また、吉竹幸則さん(フリージャーナリストで元朝日新聞記者)の特別寄稿「黒薮VS読売訴訟の本当の勝者とは???メディアの失ったものの大きさを思う・・・」も収録している。
新聞経営による言論妨害や出版妨害がなければ、本書は11月中には、全国の書店へ配本される。