【書評】『抵抗と絶望の狭間』掲載の「佐藤栄作とヒロシマ」、浮き彫りになる被害者の視点と第三者の視点
理論的に物事を理解することと、感覚として物事を受け止めることは、性質が異なる。前者は、「象牙の塔」の世界であり、後者は実生活の世界である。両者が結合したとき、物事の本質が具体像となって浮上してくる。それゆえに筆者のような取材者は、両者の距離を縮めるために、現場へ足を運ぶことがなによりも大切なのだ。
『抵抗と絶望の狭間』に収録された「佐藤栄作とヒロシマ」を執筆した田所敏夫氏は、みずからの家系について次のように書いている。
「広島市内で多量の被爆をした3人の伯父は五十代を迎えると、申し合わせたようにがんで亡くなった。発症から逝去までが短かったことも共通している。母は、数年前、『百万人に一人の割合』で発症すると医師から診断を受けた珍しいがんに罹患した」
田所氏自身もその翌年に癌に罹患していることが判明した。とはいえ田所氏は、1965年生まれで、直接、ヒロシマの閃光を浴びたわけではない。が、それにもかかわらず脳裏には、「広島の空に沸き上がった巨大なキノコ雲と、その下で燃え上がった町や、焼かれたたんぱく質の匂いが現実に経験したかのように刻み込まれている」。
広島の悲劇から76年を経て、田代氏は自らも世代を跨いだ原爆の被害者になったからにほかならない。身近に被爆者がいたことも、関係している。
家系に短命な人が多いわけではなかった。しかし、癌の世代間連鎖の当事者になり、田所氏の記憶の中で、1971年は特別な年になった。この年の8月6日、佐藤栄作が首相として初めて広島を訪れた。それ以来、平和記念式典で首相が「台本」を読み上げる儀式が定着した。菅義秀は、その台本を読み間違えた。しかし、原爆の被害者は、それを単なる知性の問題として受け止めることはできない。誤読は枝葉末節であって、「台本」そのものが、被爆者に対する耐え難い侮辱なのだ。
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原爆の被害者の眼に、佐藤栄作や昭和天皇と、オバマといった人物がどのように映っているのか。たとえば、核のスイッチを持参したオバマが被爆者を抱きしめたとき、田所氏は、「背筋が凍るほどの背理」と感じたという。
みずからの伯父の言葉を紹介して、被害者の心理も描いている。
「敏夫ちゃん、テンコロ(天皇を揶揄する彼独自の表現)なんかに騙されたら、あかんよ、伯父さんたちは勉強もできずに工場で働かされて、その挙句に原爆落とされて、同じクラスの友達全員死んじゃた。なのにテンコロは、クソ偉そうに、今でも崇められている。国民は馬鹿かと思うね。象徴天皇制なんて、天皇のお影で殺されかけた伯父さんには到底受け入れられませんよ」
田所氏は、元号は使わないという。令和新撰組の「令和」にも、違和感を感じるという。
筆者は、元号制には反対だが、違和感までは感じない。昭和天皇に戦争責任があることは客観的な事実であるうえに、天皇制を認める思想が幅広い差別の温床になっていると考え得ることなどを考慮して、元号制は戦後「民主主義」にはふさわしくないと考えているのだ。それに合理性の点からも、国際標準である西洋歴を基本にするほうが便利だ。が、天皇に憎悪までは感じない。
同じ事実であっても直接的な被害者の受け止め方と、それ以外の層の受け止め方は温度差がある。田所氏の「佐藤栄作とヒロシマ」は、そのことを如実に教えてくれる。
それゆえに、筆者は、両者の溝を少しでも埋める努力をしようと思う。