1. 【書評】『一九六九年 混沌と狂騒の時代』、50年前に革命を夢見た人々による学生運動の再検証

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2019年11月09日 (土曜日)

【書評】『一九六九年 混沌と狂騒の時代』、50年前に革命を夢見た人々による学生運動の再検証

内ゲバと呼ばれる行為がある。組織内で特定のメンバーに対して複数の人物が暴力により自己批判を求める行為で、最近では民族差別に反対するカウンターグループが大阪市で起こしている。いわゆるM君リンチ事件で、最高裁でも加害者らに対する損害賠償を命じる判決が確定した。

この事件を単行本というジャーナリズム手法でタイムリーに報じてきた鹿砦社が、今度は『1969年 混沌と狂騒の時代』という本を出版した。1960年代から70代にかけて学生運動の渦中にいた当事者らが、50年の歳月を経て、あの時代を再検証した本である。

鹿砦社の代表であり、執筆者のひとりである松岡利康氏は、寄稿(注:「死者を出した『7.6事件』は内ゲバではないのか? 『7.6事件』考〈草稿〉」)の中で「1969年は、新左翼運動史上初めて内ゲバ(党派闘争)で死者を出した年でもあった」と指摘し、「7.6事件」が内ゲバだったとする見解を示している。

7.6事件というのは後に赤軍派、日本赤軍、連合赤軍へと分派を発生させたブント(共産主義者同盟)内部の党派闘争事件で、その際に監禁された活動家が逃走を企てて転落死する事態にまで引き起こした。

7.6事件の現場に現場に居あわせた人物のひとりに重信房子氏がいる。重信氏も、本書に「私の一九六九年」と題する一文を寄せている。

当時、彼女は明治大学で教員を目指すごく普通の、それでいて世の中の動きに敏感な学生だったが、学生運動の波に呑まれ、ブントの活動に参加するようになる。

当時、ブントの内部には、赤軍フラクと呼ばれる派閥があった。重信氏は、「これまでの人脈に誘われる形で、私も『赤軍フラク』に招請」されたのである。

1969年7月6日、「赤軍フラクの者たちが『ブント指導部が自分たちを除名するらしい』」(重信氏)という動きを察して、「ブンド議長の仏さんとそのグループの人々を糾弾し、はずみで暴力」を振るってしまう。これが引き金となって、今後は逆に赤軍フラクが他の派閥から暴力による報復を受ける。

重信氏はこの事件の現場にいた。最初は「ひどく動揺し、加害(注:赤軍グラク)の強い反省に打ちひしがれた」が、赤軍グラクが報復を受けたために、「私は今更、赤軍フラクをやめるわけにはいかない」と憎悪を燃やしたのである。

その後、赤軍フラクは、「赤軍派」を結成する。69年の8月のことである。

◆◆
本書の中に、『元・同志社大学活動家座談会 一九六八年から六九年へ』と題する座談会が収録されている。1970年に同志社大学に入学して、学生運動には「遅れてきた青年」(大江健三郎)であった松岡氏が、当時、学生運動に参加していた6人の人々に当時の心の内を聞きだすかたちを取っている。「6名のうち、3名が『あの時』、安田講堂の籠城に参加した方々であり、5名は赤軍に参加した経験」(田所敏夫氏)の持ち主である。

50年の歳月を経て、学生運動の渦中にいた人々が、当時の学生運動の実態と、それに対する評価を口にしたのである。

これらの人々の中には、重信氏らからよど号乗っ取り計画への参加を勧められた人もいる。10年前にバチスタ独裁政権を倒したキューバを視察する話もあったという。当時の心境を元活動家らは、次のように話す。

野村 :僕らとしてもね、この話は1回ケリをつけないかんな、と思ってたから。ちょうどいい機会をもらったと思います。一つ、僕たち自身の限界があると思うんですよ。子供の時からの道徳の規範みたいなところ。僕のことで偕越ですが「そこで自分が命を落とす」ことについては抵抗はなかった。けど「人を傷つけたり殺したりする」ことのギャップはすごく大きかったんですよ。そこをどう乗り越えるか。おそらく連合赤軍がアジトで共産主義的な成長を「総括」 という形で求めたのは、そういう部分やろうと思うんです。自分の「道徳規範を乗り越えなあかん」と。そういう意味やと僕は理解してるんです。僕は乗り越えられなかった。

館野:その頃「武器を持って」という闘争になってたんすでよ。だから「殺すか殺されるか」みたいなことを考えないと、さっきの「壁」は乗り越えられないんです。

小島:僕は怪我して病院にいて、この2人(注:匿名で座談会に参加したX氏とY氏)が全国全共闘大会から帰ってきて、赤軍のパンフをくれて。最初に思ったのは、失礼ながら「なんとレベルの低い」ものかと。ただ書いてはることは「世界革命戦争」とかすごい気宇壮大なこと書いている。

◆◆◆
本書を鹿砦社が編集した目的は、おそらく松岡氏の次の一文に現れている。

 今、本件(注:7.6事件)のみならず新左翼の内ゲバは、多くの情報を曝け出し、主体的に反省し総括しなければならないことは言うまでもない。はっきり言いたい、能力も資格も劣る私が、この問題に対して、このような長文(注:「死者を出した『7.6事件』は内ゲバではないのか? 『7.6事件』考〈草稿〉」)を書かざるをえなかったのは、先輩方が、情報を曝け出すことをせず、検証と総括作業を怠ってきたからだ。

周知のようにM君リンチ事件に関する5冊の単行本は、2016年から19年にかけて刊行された。テーマの柱になっているのは内ゲバである。刊行年月日は、これら5冊が先だが、原点にあるのは本書の中で語られていることなのかも知れない。