1. 【書評】野田正彰氏のルポ、『原発事故で亡くなった人々の精神鑑定に当たって』、原発事故のあと自殺に追い込まれた人々の内面を克明に描く

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2019年09月13日 (金曜日)

【書評】野田正彰氏のルポ、『原発事故で亡くなった人々の精神鑑定に当たって』、原発事故のあと自殺に追い込まれた人々の内面を克明に描く

原発問題に特化した季刊誌『NONUKES』(鹿砦社)の最新号に、ノンフィクション作家で精神科医の野田正彰氏のルポ、「原発事故で亡くなった人々の精神鑑定に当たって」が掲載されている。福島の事故のあと自殺した人々の内面に光を当てた力作で、作品の大半は野田氏が作成した精神鑑定書で構成されている。実際に、裁判所へ提出された精神鑑定書である。

ルポに登場するのは3人の死者である。3人に共通するのは、福島に根を張って生きてたきた人々である点だ。飯舘村に生まれ、飯舘村の生活と文化を身に付けてきた人々である。人間は加齢と共に生活環境に順応する力を失っていくものだが、そんな事情に配慮することなく、原発事故は容赦なく住民を他の生活空間へと追いやった。

酪農ができなくなった菅野重清さんは、妻の実家があるフィリピンへ妻子を避難させ、ひとりで郷里へ戻った。鑑定書は、自殺に至るまでの生活史を次ぎのように記録している。

山里の開拓農家に生まれた少年が健やかに育ち、地元の中学校を出て、父母から酪農の生業を受け継ぎ、フィリンピンから嫁を迎え、三人の姉は遠くへ嫁ぎ、父母も亡くなって世代は変化し、一家四人が楽しく暮らしていた。彼は五五歳になり、円熟した働き盛り。堆肥小屋も建て、さらに牛を増やし、息子に酪農を継いでもらいたいとそっと思いながら、着実に生きていた。

そこへ襲いかかったのが東京電力が起こした原発事故だった。遺書には、「原発さえなければ」と書かれていた。

 


大久保文雄さんも、飯舘村で生まれ、飯舘村で生きてきた。享年102歳。住民たちが次々と村を離れていくなかで、「おら、行きたくねーな」と繰り返していた。鑑定書は、大久保さんの生活状況を次のように記録している。

開拓農家の長男という社会的条件、ゆっくりと成熟した村の男としての人格が相俟って、幸せな人生を生きてきた。文雄にとって、ゆるやかに見おろす田畑、かなたに盛り上がっていく丘は、彼と彼の親族が生きた歳月、流した汗、去っていった家族の体が土となり、森となり、景色となったものであろう。この周に暮らす村人との交流は、文雄の感情を静かに流れる水であり、風であったと思われる。

ところが原発事故がこうした牧歌的な生活を破壊したのである。2011年4月12日、大久保さんは飯舘村の自宅で自ら命を絶った。村が死に絶えていくのを見るに忍びなかったのだろう。

 

◆◆
享年84歳のAさん(女性)も飯舘村で生まれた。Aさんは原発事故のあと、福島市内のマンションに移り住んだ。が、そこでの生活環境は郷里の生活とは異質なものだった。都会である。緑のおびただしい飯舘村へ一時帰宅したさいに、家のすぐ裏にある先祖の墓に参った。再び村を離れる前に、Aさんは自宅の「箪笥から反物のさらしを取って袋に入れてきたと考えられる」。福島市のマンションへ戻り、このさらしで首を吊って命を絶ったのである。

鑑定書は、Aさんのケースを例に人間が環境に順応することの難しさについて次のように述べている。

確実に山里に適応してきた中高年、老人は、根こそぎにされる変化にとりわけ弱い。情報を集め、整理し、新たな決断をするという思考プロセスを持っていない。

 

◆◆◆
ルポといえば、新聞記事の延長のようなものが大半を占める。その多くは事件の構図そのものは正確に描いているが、登場している人物の内面が軽視されている。そのためか傍観者の報告書を読んでいるような印象を受けがちだ。

原発が引き起こした自殺の問題に焦点をあてた野田氏のこのルポは、被害者が対峙した具体的な事実をひとつひとつ確認し、言葉で記録することで、ひとが死へと追い込まれていく心理を浮かび上がらせている。さながら死者の書だ。

プロのノンフィクション作家だから、当然の力量だと言ってしまえば、それまでだが、優れたルポとは何かを考えさせる。福島の原発事故を描いた最も優れたルポのひとつである。