【書評】遠藤周作著『海と毒薬』、大学病院における人体実験を通じて日本人のメンタリティーを描く
子供のころから立ち回りが巧みで、学業に秀でている点を除くと、特に卓越した個性もなく、順調に階段を昇って大学病院の医局に入った助士。医師としての脚光を浴びたくて、出世競争の裏工作に奔走する教授。家族の不和を体験して、自立して生きるために病院に就職した看護婦。遠藤周作の『海と毒薬』(新潮文庫)に登場する人物は、だれも凡人である。どこにでもいる「普通の人々」、あえて違いを言えば知的な人々にほかならない。
が、これら普通の人間が権威により秩序を保つ村社会に投げ込まれると、何の呵責もなく、入院患者をだまして人体実験を繰り返す。あげくの果てに、軍部からの要請に応じて、米国人捕虜を使った生体人体実験にまで及んでしまう。それも「業務」の一端に過ぎない。
「はあ。軍医殿には申し上げるまでもありませんがね、他の将校の方たちには御参考までに説明しておきましょう。本日の捕虜に対する実験は簡単に申しますと・・・。肺外科に必要な肺の切除がどの程度まで可能か、どうかを調べることにあります。つまりですねえ。人間の肺はどれだけを切り取れば死んでしまうか、この問題は結核治療にも戦争医学にとっても長年の宿題ですから、捕虜の片肺の全部と他の肺の上葉を一応、切り取ってみるつもりです。要するにです・・・」
この小説は、1945年に九州大学医学部で起こった事件に材を取ったものである。組織に入ると群れをなして異常な方向へ突進していく日本人とは何かという問いを突き付けている。
有力な教授たちの最大の関心事は、次期医学部長の椅子をわが手に確保できるかどうかに向けられている。助教授の方はといえば、これは又教授のポストをねらって業績稼ぎに余念がなく、そのためには、貧しい療養患者を危険な新型手術の材料にすることも辞さない。
九州大学の人体実験から既に70年が過ぎ、最近、にわかに医療現場における人命軽視がクローズアップされるされるようになっている。日本人のメンタリティーは、戦後から一歩も進化していないのか。戦争犯罪の検証を曖昧にしたことが、負の遺産として現在にまで引き継がれているのかも知れない。
タイトル:海と毒薬
著者:遠藤周作
版元:新潮社