1. 【書評】しばき隊の本質を見抜けない「知識人」の劣化、かつての同和問題と同じ分断工作の構図、『ヘイトと暴力の連鎖』など鹿砦社取材班の4冊

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2018年03月06日 (火曜日)

【書評】しばき隊の本質を見抜けない「知識人」の劣化、かつての同和問題と同じ分断工作の構図、『ヘイトと暴力の連鎖』など鹿砦社取材班の4冊

2月27日付けのメディア黒書で『カウンターと暴力の病理』を紹介した後、その前段にあたる図書にも目を通してみた。

実は、この本に先立って、「しばき隊」による内ゲバ事件をテーマとする3冊の本が、同じ鹿砦社から出版されている。出版順に次の3冊である。

『ヘイトと暴力の連鎖』(2016年7月)
『差別と暴力の正体』(2016年11月)
『人権と暴力の深層』(2017年5月)
『カウンターと暴力の病理』(2017年12月)

『カウンターと暴力の病理』については、すでに書評した。

シリーズものの本は、とかく斜め読みしたくなるものだが、それをさせない力をこれ
ら4冊は秘めている。それは恐らく渾身の力で取材に取り組んだ成果ではないかと思う。この事件について訴えたいという取材班の思いが、力強いルポルタージュを生んだのだろう。たとえば 『人権と暴力の深層』の次のくだりである。怒りの感情が読みとれる。

(略)M君リンチ事件から目を背けながら、今なお「人権」「反差別」「リベラル」などと、耳障りの良い言葉を平然と口にするような恥知らずは枚挙に暇がない。こういう輩を〈偽善者〉という。(略)
 エル金(暴力事件の主犯)一人に全ての責任を押し付けてM君リンチ事件の「幕引き」を図っている、「リベラル」を自称するこの者たちは、決定的な敗戦の責任を何一つ取らなかった旧日本軍の指導者や、森友学園問題において籠池泰典一人に全ての責任を押し付けて疑惑から逃れた安倍晋三夫妻や松井一郎と何一つ変わらない。
 われわれ取材班は、このような醜悪な〈偽善者〉を看過しない。今後もこれらの者たちの責任を追及し続ける。〈偽善者〉に逃げ道はない。

◇部落解放運動の分裂

4冊のうち確か2箇所に、かつての部落解放同盟の方針と「しばき隊」の類似性を考察する記述があった。筆者自身が感じていたことだったので、共感した。

部落解放運動は1970年代には、社会党系と共産党系の分裂状態にあった。両陣営とも人間の解放を目指す方向性はあったが、社会党系のグループは、「差別者」に対して糾弾会を開くなど、暴力的な側面があった。八鹿高校事件も起こしている。俗に朝田派と呼ばれた人々である。

この朝田派と正面から闘っていたのが共産党だった。八鹿高校事件はメディアではほとんど報じられなかったが、村上弘議員(共産)が国会質問で取りあげ、テレビ中継され、大きな反響を呼んだのである。

筆者は、1980年代の中米における軍事独裁政権に対する武装闘争に深く共感して、ニカラグアやエルサルバドルの取材も行ったが、日本国内における火焔瓶などを使った新左翼の路線には反対だった。その点では、共産党のスタンスに共感してきた。しんぶん赤旗のジャーナリズムにも敬意を表してきた。

ところが驚くべきことに、一連の4冊の本は、共産党と「しばき隊」が親密な関係にあることを裏付けている。「まさか」という気持ちで、筆者自身もある程度の裏付け調査を行った。その結果、それを否定しようがないことが判明した。たとえば分かりやすい例をあげると、小池晃副委員長が「しばき隊」のTシャツを着て演説している写真の存在である。事実の前には、理論は通用しない。

もちろん、共産党が「しばき隊」の正体をよく知らなかった可能性もある。しかし、もし知らなかったのであれば、正直にそれを認めればいいだけの話である。誤解はだれにでも生じる。「訂正」は恥ずかしいことではない。ところが、鹿砦社取材班の取材要請すらも拒否しているのだ。

しばき隊の人々が他の野党の支持者である可能性も考慮して、野党共闘を優先して、この問題に触れないのではないかと疑いたくなる。

◇しばき隊を沖縄へ派遣する愚

しばき隊(厳密には男組の組長ら)の中心メンバーが沖縄の反基地闘争に参加して、逮捕された事件もいくつかのルポで紹介されている。右派系の人々が、沖縄の反基地闘争には、本土から多数の「活動家」が参加していると主張してきたが、まんざらウソではなかったようだ。本土から参加することそのものには問題ないにしても、マナーの悪さが露呈すれば、地元の人は違和感を持つだろう。

それが名護市民の反発を招いて、稲嶺氏が落選した可能性も否定できないだろう。結果としてしばき隊が革新分断の役割を果たさなかったか、今後検証してみる必要があるだろう。かつては部落解放運動を巧みに利用して、革新勢力の分断が行われたのである。今、同じような危機がつくりだされようとしているように感じる。

4冊の本で描かれている欺瞞の実態は、政治不信が広がっている現在を象徴しているかのようだ。