1. 『創』が新聞社特集、新聞社のプロパガンダのオンパレード、「押し紙」には言及せず、評論活動の意味に疑問符

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2018年02月13日 (火曜日)

『創』が新聞社特集、新聞社のプロパガンダのオンパレード、「押し紙」には言及せず、評論活動の意味に疑問符

評論の役割は、テーマとする対象に多様な角度から光を当て、状況を改善する方向性を示すことである。だから批判すべき点は、はっきりと批判しなければならない。このところ自分に向けられた批判言論を裁判所に泣きついて、押さえ込む出版関係者もいるが、批判すべき点は批判しなければ、評論の意味がない。

『創』が「新聞社の徹底研究」と題する特集を組んでいる。同誌はかなり以前から毎年、新聞社特集を組んでいる。筆者の本棚にも、10年以上前の新聞社特集、2005年4月号があるが、それ以前から新聞社特集は組まれていたように記憶している。しかし、いずれの特集号も日本の新聞ジャーナリズムの諸悪の根源である「押し紙」問題にはほとんど触れていない。さらにABC部数を実配部数と勘違いして、「ABC部数=実配部数」という間違った情報を前提として、新聞社経営の実態が論じられるなど、違和感を感じてきた。

◆プロパガンダのオンパレード

今年の新聞社特集のタイトルは、「変貌する新聞社の徹底研究」というタイトルになっている。読んでみて唖然とした。各新聞社の取り組みを、技術面や編集方針の変化という観点から報告しているだけであって、業界紙のレベルと同じだ。プロパガンダのオンパレードである。ジャーナリズム性は皆無。しかも、書き方が年表か表の記述のように単調で、極めて読みにくい。情報が羅列されているだけで、全体として一体何を主張したいのかさっぱり分からない。

「押し紙」問題についての言及はない。現在の新聞業界の諸悪の根元であり、新聞を考えるときに欠くことができない重大問題であるはずなのに、まったくこの点には言及していない。重大問題という認識がないのかも知れない。

メディアを監視する役割を担ってきた『創』が新聞社をまったく批判できなくなっているのである。特集以外の記事は、大半がそれなりに読みごたえがあるが、新聞社がテーマになると、たちまち「腰砕け」のようになってしまうのだ。

筆者は、この現象が不思議で仕方がない。なにを恐れているのかさっぱり分からない。

新聞社が「押し紙」という汚点を払拭しない限り、公権力はこの汚点を逆手に取って、メディアコントロールの道具にする。現に安倍首相も、かつて国会質問で「押し紙」問題に言及したことがあり、それがどのようなものかを把握している。しかし、「押し紙」問題にメスを入れる方向へは動かない。新聞社の汚点を棚上げにしておくほうが、メディアをコントロールしやすい構図があるからだろう。

◇「押し紙」と折込広告の回収場面の動画

参考までに「押し紙」回収の場面と、水増しされた折込広告を回収している場面を撮影した動画を紹介しておこう。新聞人は1980年代から、「押し紙」問題を繰り返し指摘されてきたが、耳を傾けないわけだから、筆者も報じ続けざるを得ないだろう。

次の3点の動画は、「押し紙」を回収している場面である。回収されている新聞が古紙でないことは、新聞がビニールで梱包されていることで分かる。毎日新聞の場合、「押し紙」率が70%を超える販売店もあった。

【動画1】

 

【動画2】

 

【動画3「今朝の毎日新聞が数時間後には只の新聞紙(古紙)になるまでの様子」

◆折込広告の破棄

「押し紙」とセットになっている折込広告も破棄される。以下の「1」と「2」は、過剰になった折込広告を段ボール箱に入れる場面である。「3」は、折込広告が入った段ボールを、トラックに積み込む場面である。

なお、「3」は、販売店から紙収集場までをカメラが追跡している。素人が撮影した動画だが、こんな場面はNHKに40年勤務しても撮影できないだろう。

【1,大量廃棄されるユニクロの折込広告】

 

【2,大量廃棄される山田養蜂場の折込広告】

 

【3,販売店から折込広告を搬出する場面】

 

◇読売に対する反論

 真村訴訟での「押し紙」政策認定については、読売はその解釈を認めていない。事実、この点に言及した『月刊Hanada』の記事(黒薮執筆)に、読売の滝鼻広報部長が抗議文を送りつけた。そこで、それに対する筆者の反論と、判決を以下に掲載しておこう。滝鼻氏が希望されるようであれば、抗議文の全文を掲載する。

読売の滝鼻広報部長からの抗議文に対する反論、真村訴訟の福岡高裁判決が「押し紙」を認定したと判例解釈した理由

真村裁判福岡高裁判決