1. 【書評】『電通 巨大利権』、広告依存型ジャーナリズムの問題点に切り込む

書評・出版物の紹介に関連する記事

2017年10月31日 (火曜日)

【書評】『電通 巨大利権』、広告依存型ジャーナリズムの問題点に切り込む

メディアは、ジャーナリズムの取材対象のひとつである。実際、大手の書店へ行くと、「メディア」、「出版」、「放送」などの書棚が設けてある。いずれも人気のある分野とはいえないが。

しかし、その関心が低いメディアという分野は、実はわれわれの日常と極めて近い位置にある。テレビや新聞、それにインターネットなどを通じて、人々は常に新しい情報を求めている。地下鉄の車内で、スマホに夢中になっている人々の光景は、いまや当たり前だ。

が、それにもかかわらずメディアによって、自分の価値観や世界観が影響を受けていることを自覚している人は皆無に近いだろう。その結果、気づかないうちに世論誘導されていたという事態も起こっているのだ。

『電通 巨大利権』(CYZO)の著者・本間龍氏は博報堂で18年間、テレビCMや新聞広告、それにイベントなどPR戦略をコーディネートする営業の仕事を担当した経歴を持つ。これまで、政府の原発推進政策を支持する世論が、実は莫大な量の原発広告により形成されてきた事実や、近い将来に予測される憲法改正国民投票の勝敗が、広告戦略を進めるための資金力の優劣によって決せられる危険性など、同時代の重要な問題を指摘してきた。

本書は、日本のメディアがどのような経営構造の上に成り立ち、それがジャーリズムにどのような負の影響を及ぼしているかをえぐり出している。日本でも世界でもメディアの主要なビジネスモデルは、改めて言うまでもなく、広告収入を財源としたジャーナリズムである。特にテレビ局は、ほぼ全面的にテレビCMに経営を依存している。

その広告収入を確保するためにメディア企業とスポンサー企業の間に入っているのが広告代理店である。その中でも、独占的な地位にあるのが巨大企業・電通である。本書は、その「電通問題」に正面から切り込んでいる。

◇電通が独占企業になった背景

2014年度の電通の売上げは、国内が1兆8000億円で、海外は2兆8000億円である。総計でなんと4兆6000億円にもなるのだ。日本の広告業界の中では、テレビCMから新聞広告まですべての分野でトップの座を占め、業界2位の博報堂とも大きく水をあけている。電通が巨大化したのは、海外の広告代理店ではあり得ない特権を与えられてきたからである。たとえば「一業種多社制」の容認である。

 日本と世界の広告業界の最大の違いは、担当できるスポンサーの数にある。世界的には、ある業界で複数のスポンサーを担当できない一業種一社制が大勢である。つまり、自動車業界で仮にトヨタを担当したら、日産やホンダは担当できない。もちろん外資もダメということだ。(略)

電通も博報堂も、あらゆる業種のスポンサーを山のように抱えており、これが両社の巨大化の要因となっている。欧米の代理店は一業種一社に縛られているから、一社単位での企業規模拡大には限界がある。まさに日本でしか通用しないスタイルなのだ。

また、巨大化の原因として本間氏は、総合広告代理店としての性質も指摘する。総合広告代理店というのは、ひとつの代理店の中に、営業部門から制作部部門、それにSP(セールスプロモーション)部門が同居している広告代理店を意味する。これは日本に特有な形態で、海外では部門ごとに会社が異なる。

 欧米でこれらを分けているのも秘密保持と寡占を抑制するためだが、日本では一気通貫の利便性の方が優先されている。もちろん日本にもそれぞれの専門会社はあるが、多くは電通・博報堂の傘下で仕事を割り振られる形式になっている。

さらに本間氏は、広告枠を確保する役割とそれを販売する役割を同じ広告代理店が担当していることも、問題として指摘する。世界的には希だという。

これの何が問題かというと、スポンサーのために広告枠を購入するはずが、実はその代理店が持っている広告枠を都合良く埋めただけ、という可能性が生じるためだ。もちろん、それが本当にスポンサーが要求した広告枠なら問題ないが、往々にして代理店が持っている枠の「在庫整理」に利用される恐れもある。そのため海外では禁止している国が多い。

このように電通が巨大化していった背景には、国が広告業界に対して、法的な規制をしてこなかった事情があるのだ。

◇テレビCMの約四割が電通「枠」

読者は広告の「枠」とは何かをご存じだろうか?
テレビCMには、それを放映するための「枠」がある。通常は、15秒か30秒である。新聞広告にも、それを掲載するための「枠」がある。当然、「枠」の価格は、テレビCMであれば、視聴率の高い時間帯の方が高くなり、新聞広告であれば、読者の目に止まりやすい紙面が相対的に高くなる。

電通の強みは、確保している自社「枠」が多いことである。テレビCMに至っては、約4割が電通「枠」である。

これが電通によるメディア支配の具体的な形なのである。広告主は、自分が希望する枠を確保するために電通と良好な関係を構築しなければならない。関係を悪くすれば、最悪の場合、出稿できなくなる。

一方、メディア企業も電通と良好な関係を構築しておかなければ、広告主を紹介してもらえない。

このような三者関係の上に日本のメディア企業は成立しているのである。と、なれば既存のメディア企業が電通を正面から批判することは難しい。また、経営の基盤が広告であるから、広告主の批判も出来ない。批判されそうになれば、電通を通じて、メディア企業と「交渉」することもできる。こうした慣行の中で、過剰な電通タブーが生まれたと本間氏は指摘する。

なお、広告主は高額な広告費を投入すれば、番組内容そのものにも影響を及ぼすことができる。たとえばニュース番組で、どのようなニュースを流し、どのようなニュースを流さないかにより、形成される世論は異なってくる。副次的に見れば、大口広告主は日本の世論をも誘導していることになりそうだ。この点についても本間氏は本書で指摘している。

◇五輪ボランティアの問題

ジャーナリズムの光が届かないところは、ブラックボックスである。ところがこのところ、電通の体質が暴露されはじめた。本間氏は本書の中で、東京オリンピックのエンブレム問題を皮切りに、オリンピック誘致裏金疑惑、インターネット業務での「不適切取引」の問題、高橋まつりさん過労死事件などを取りあげている。

これらの事件は一昔前であれば、電通とメディア企業の力関係からして、大きな話題になることはなかった。が、状況は変わり始めている。その大きな要因のひとつとして、本間氏はSNSの存在を指摘する。SNSの台頭により、既存メディアも電通問題をまったく無視するわけにはいかない状況が生まれているというのだ。

しかし、それはまだ始まったばかりの社会現象で、たとえばまったくジャーナリズムが指摘していない大問題も残っている。それが五輪組織委と電通が仕切っているオリンピックのボランティア活動で、参加者をただ働きさせようと計画している問題である。

電通はオリンピック関連の広告やCMを一手に引き受けることで莫大な利益を得ることになるが、なぜかボランティア活動は無償なのである。ブラック企業大賞の受賞から、何の教訓も得ていないのである。

◇メディア企業の経営基盤

メディアの性質を検証するとき、そのメディアがどのような経営基盤の上に成り立っているかを知ることは不可欠だ。これを無視すると、日本のメディアの本質が見えない。洗脳や世論誘導の形も認識できない。そのことを本書は具体的に教えてくれるのである。

 

タイトル:『電通 巨大利権』
著者:本間龍
版元:(株)サイゾー