1. 【書評】 詩織さん事件の元TBS山口敬之氏『総理』に見る政治記者の勘違い、取り違えた「スクープ」の意味

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2017年10月17日 (火曜日)

【書評】 詩織さん事件の元TBS山口敬之氏『総理』に見る政治記者の勘違い、取り違えた「スクープ」の意味

報道を評価する基準は多様だが、究極のところは、報道内容に価値があるかどうかである。厳密に言えば、報道の背景にどのような思想があり、どのような視点があるかである。そのためか、評価には歴史的な時間を要する。客観報道というのはまったくの幻想である。殊更にそれにこだわる必要はない。

山口敬之著『総理』(幻灯舎)は、報道の視点という観点から見ると、一体、何を主張したいのかよく分からない本である。山口氏の経歴は、1966年東京生まれ。慶應大学を卒業してTBSへ入社。後にワシントン支局長。16年には退社してフリージャーナリストになった。準強姦事件(詩織さん事件)を起こしていた疑いが浮上して、一躍、時のひとになったが、不起訴に。

安倍官邸との距離が極めて近いことでも有名だ。同著によると、「初めて安倍氏と会ったのは小泉純一郎内閣の安倍官房副長官、いわゆる『番記者』という立場の時であった」。初対面のときから「ウマが合った」のだという。その後、「時には政策を議論し、時には政局を語り合い、時には山に登ったりゴルフに興じたりした」という。

麻生副総理とも懇意で、第1次安倍内閣の時代に外遊に同行して、密室で2人だけで政談に耽ったことがあるという。

 1時間ほどしたら麻生自ら人払いをして私と2人きりになった。静かになったスイートで麻生がこう切り出した。

この場で山口氏は、内閣人事に関する直筆メモを麻生副大臣から託され、安倍首相に届ける約束をする。このあたりの事情については、次のように書いている。

外部からの観察者という立場を超えて、図らずもメッセンジャーになったり、政局の触媒となったりする。記者の範疇を超えているとして、こうした役回りを担うことを批判する向きもあるだろう。しかし、永田町の最前線に踏み込んだ人間にとっては、政局において一切の役回りを果たさずに完全に超然としているのは、事実上不可能である。

◇報道の評価は歴史が決める

本書の第1章は、「首相辞任スクープ」というタイトルで、2007年の安倍首相辞任を山口氏がいかにしてスクープしたかが書かれている。結論を先に言えば、安倍官邸との距離が、もうひとりのNHK女性記者と共に極めて近かったからである。それ以外の何ものでもない。

私がこの章に疑問を感じたのは、安倍首相の辞任がそもそもスクープに該当するのかという点である。TBSが他社よりも数時間早くこのニュースを報じた事にどれだけの価値があるのかという疑問である。

大メディアの記者たちは、他社よりも早くニュースを発表することにこだわっているらしい。そのための涙ぐましい努力をしている。しかし、報道における1時間、2時間の遅れが、政局に重大な影響を及ぼすはずがない。

この不毛な競争を勝ち取るために、政治家との距離を異常に接近させているのが、日本の政治記者の実態らしい。

実際、「首相辞任スクープ」は、安倍氏が辞任に至った経緯を、政策の失敗という記者の視点から分析した内容ではない。いかに自分が安倍官邸から重宝がられているかの自慢話が書き連ねられているのだ。

確か本多勝一だったと思うが、ルポはいかに取材で苦労したかを書くものではない、という意味の事をどこかに書いていたが、「首相辞任スクープ」はその路線の逆を行くルポである。

筆者は要人と酒を飲むこと自体は悪いとは思わない。しかし、何年か後、仮に安倍首相の政治姿勢を否定的に捉える見解が歴史的に定着したとき、山口氏の評価も低いものになるのである。産経新聞と読売新聞と同じ運命をたどるだろう。