1. 日本における海外情報の貧困、FMLNの事例に見る公安調査庁の情報収集能力

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2015年10月13日 (火曜日)

日本における海外情報の貧困、FMLNの事例に見る公安調査庁の情報収集能力

エルサルバドルのFMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線 、Frente Farabundo Martí de Liberación Nacional)が、設立から35年をむかえた。1980年10月10日、5つのゲリラ組織が統一してFMLNを結成すると、首都へ向かって大攻勢をかけた。首都陥落は免れないという見方が広がったが、米国レーガン政権が介入して、以後、12年間にわたり内戦が泥沼化したのである。

FMLNに関しては、日本にはほとんど情報がないし、あったとしても、とても正確とはいえない情報が一人歩きしている。

たとえば、公安調査庁は、FMLNについて次のように述べている。全文を引用しよう。

「ファラブンド・マルティ民族解放戦線」(FMLN)は,マルクス・レーニン主義を信奉する反米・親ソ・親キューバ武装組織「民族抵抗武装軍」(FARN),「中米労働者革命党」(PRTC),「エルサルバドル共産党」(FAL),「ファラブンド・マルティ人民解放軍」(FPL)及び「人民革命軍」(ERP)の5組織で構成する連合組織である。1980年10月に設立された。親キューバ・親ソの反米共産主義国家の樹立を目指し,爆弾テロ,暗殺,放火などを実行した。1992年5月,政府との和平協定に基づき,新たな政党として政治活動を行うと宣言し,同年9月に合法政党活動のための綱領を発表した。同年12月に武装解除した。

この記述は、FMLNにテロリストのレッテルを張ることを意図したものにほかならない。最低限必要な情報すらも欠落しており、とても現地に足を運んで正確に事実関係を調べたものとは思えない。

まず、第1にFMLNが内戦終結後に合法政党になり、2009年に政権の座に就いた事実が欠落している。現在、FMLNの政権は2期目に入っている。エルサルバドルは、FMLNの政権下にある。

第2の間違いは「反米共産主義国家の樹立を目指し,爆弾テロ,暗殺,放火などを実行した」という箇所である。内戦中、軍人以外をターゲットにして、テロや暗殺を繰り返していたのは、米軍の支援を受けていた政府軍の側である。それが客観的な見方であり、エルサルバドルにおける人権侵害の実態だった。それがエルサルバドル問題の本体だったのである。

内戦当時の1980年代、わたしは米国のワシントン州立大学に在学していたのだが、学内でも、エルサルバドルの問題を考えるイベントがよくあった。たとえばエルサルバドルの全学連の学生による報告会があった。その時、次のような内容の話を聞いた。

ある農村の住民が、同じように税金を払っているのに自分たちの村には、電気も水道も整備してもらえないので、神父に相談した。神父を通じて政府に申し入れたところ、政府は村に軍隊を投入してきた。そして「抗議」を組織したリーダーを探し始めた。疑いをかけられた人々は、その場で射殺されたり、誘拐されて行方が分からなくなった。

エルサルバドルの学生は全米の大学を回って、軍による人権侵害の実態を訴えたのである。

全学連の一行が母国エルサルバドルに帰国すると、入国管理局で拘束された。そこで彼らの生命の安全を確保するために、米国の支援者が緊急に署名を集め、抗議の電報を送るなどの対処をしたのである。

米国内でも米軍の支援を受けた政府軍の暴力が大きな問題になった。難民が米国にも押し寄せ、エルサルバドルへの軍事介入(軍事予算の提供と米軍司令官の派遣)に反対する世論が広がった。

◇『戦争の証言』

当時、米国で出版された書籍のひとつに、『戦争の証言』(Witness to the War )と題する米国人医師が書いたものがあった。

著者の医者はカリフォルニア州の農業地帯で医療活動を展開していたのだが、ある時期から、農場で働くエルサルバドル難民の中に拷問の傷跡が残っている者や、精神に障害をきたしている者が多い事実に気づく。

この医者は、戦地での医療支援の必要性を感じて医者が不足しているFMLNの解放区に入る。もちろん身の安全を確保するために、事前にFMLN側とコンタクトを取っていた事は言うまでもない。

『戦争の証言』の中で印象に残っているのは、この医者がFMLNの兵士になぜ解放戦線に加わったのかを質問する場面だった。この兵士は、元々、大地主の家で家畜の世話をしていた。番犬の世話は彼の役割で、毎日、餌として肉やミルクを与えていたという。犬が病気になった時は、獣医のところへ連れて行った。

その一方では、自分の子供には、肉もミルクも与えることができなかった。病気になっても、医療とは無縁だった。この兵士は、真の暴力とは何かを医者に問うたという。

◇川に死体

わたしは1985年を皮切りに何度か、エルサルバドルに足を踏み入れたことがあるが、軍隊に射殺されたばかりの農民を目撃したことがある。死体は路上にうつ伏せに横たわり、血の海が広がり、あたり一面に収穫したばかりの野菜が散乱していた。人々が厳しい表情で遺体を取り囲んでいた。

入国管理局では、職員がバックの中の薬を指して、まじめに「ゲリラにとどけるのか?」と尋ねた。職員は、わたしにメガネを外すように命じ、パスポートの写真と素顔を何度も見比べた。

町の人々は、川によく死体が捨ててあると話していた。少しでもFMLNのシンパの疑いがかかると、殺害や誘拐の対象になっていたのだ。

こうしたテロをサポートしていたのが、米国のレーガン政権である。

◇中米5カ国で紛争を解決

公安調査庁の情報を読むかぎり、1992年にFMLNと政府の間で和平が成立したような印象があるが、これも舌足らずな記述である。間違いではないが、正確ではない。

当時、中米では同時に3つの内戦が進行していた。エルサルバドル、ニカラグア、それにグアテマラである。これらを概して「中米紛争」と呼ぶのだが、
中米紛争の終結に貢献したのは、米国でもキューバでもない。他の第3国でもない。

コスタリカのアリアス大統領の提案で、中米5カ国(コスタリカ、ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス)が中米紛争の解決に共同で乗り出して、会議を重ね、みずからの手で和平を実現させたのである。今にして思えば、この地域の民主主義は、この時代から芽生えはじめていたことになる。

大事な点は、中米の人々が自分たちの意思で自分たちの地域の在り方を決めたことである。今の沖縄の人々に似ている。

公安調査庁といえども、国費で調査するわけだから、もう少しまじめに取材活動をすべきだろう。最低限客観的な事実ぐらいは把握しなければならない。