1. 現職大統領に対して「不逮捕特権」を奪う決定、三権分立の理想を示した中米グアテマラの最高裁判所

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2015年08月28日 (金曜日)

現職大統領に対して「不逮捕特権」を奪う決定、三権分立の理想を示した中米グアテマラの最高裁判所

【サマリー】汚職事件に関与したとされる中米グアテマラの現職大統領に対して、同国の最高裁は、「不逮捕特権」を取り上げる決定を下した。グアテマラでは、世界に先駆けて三権分立のあるべき理想を実践している。

これに先立つ2013年には、軍政時代の元将軍であり大統領であったリオス・モントに対して禁固80年を言い渡した。また、今年の1月には1982年にスペイン大使館焼き討ち事件を指示した元警察のトップに対して禁固90年の判決を下している。

三権分立が正しく機能した時、社会正義はどう実現されるのか。グアテマラは世界に先駆けて、その模範を示している。

時事通信が26日付けで、「初の不逮捕特権剥奪か=グアテマラ大統領―汚職追及、政界頂点に迫る」と題する記事を掲載している。最高裁判所の決定により、オットー・ペレス=モリナ大統領が、大統領の不逮捕特権を奪われることになったというのである。原因は税関汚職事件である。

現職の大統領に対して裁判所がこうした判断を下すのは、世界的にみても極めてめずらしい。しかも、前世紀までは内戦などの影響で、民主主義の後進国と評価されてきた国で、このような変化が起きているのである。

グアテマラに激変の兆候が見えたのは、2013年5月、1980年代の初頭に大統領職にあったリオス・モント将軍に対して、「ジェノサイドと人道に対する罪」で禁固80年の判決を下した時である。

その後、2015年の1月になって、今度は1982年のスペイン大使館焼き討ち事件を命じた当時の警察トップに対して、禁固90年の判決を下した。これは、同国の先住民族と学生37人が、軍による暴力を世界にむけてアピールするために、スペイン大使館に駆け込んだところ、軍が大使館のドアと窓を釘付けにして放火し、館内にいた人々を皆殺しにした事件である。生存者は、大使会員を含めて2人。事件後、スペインはグアテマラとの国交を断絶した。

そして今回、2015年8月、現職大統領に対して最高裁判所が弾劾の決定を下したのである。実は、このオットー・ペレス=モリナ大統領は、前出のリオス・モント裁判の中で、1982年当時、直接、先住民の虐殺事件に関与したことが指摘されていた。

グアテマラでこのところ起こっている現象は、三権分立が正常に機能したときに、正義が実現されるという真理の証である。とはいえ、本音と建て前に支配された社会では、それはそう簡単なことではない。

日本の裁判所の実態をみればそれが理解できるだろう。新聞社をはじめ権力を持つ者に圧倒的に有利な判決を下してきたのが日本の裁判所である。が、地球の裏側では、三権分立の模範的な手本が示さるようになっているのだ。

◇だれがテロリストだったのか?

しかし、グアテマラはもともと民主主義の思想に敏感な国だった。同国の歴史には、1944年から1954年までのあいだ「グアテマラの春」と呼ばれた時代があった。この時期、2代の大統領がそれぞれ米国大統領ルーズベルトが提唱したニューデール政策(政府による市場への介入を基調とするリベラル右派の経済政策)を導入して民主化を進めた。左派の政権ではないが、ラテンアメリカの中でもいち早く民主的な制度の構築を進めていたのである。

ところが、このリベラル右派の政権は、1954に米国の多国籍企業UFC(ユナイテッド・フルーツ・コンパニー)とCIAの謀略により崩壊する。当時の政府が農地改革のプロセスで、UFCの土地に手をつけたとたんに、クーデターが起こったのだ。

その後、軍事政権が敷かれた。これに対抗して山岳地帯では、ゲリラ活動が始まり、1996年にグアテマラ民族革命連合(URNG)と間で和平が実現するまで内戦状態にあった。が、終戦後は、急激なスピードで民主化が進んでいる。

ちなみに日本の公安調査庁は、URNGをテロ集団と位置づけているが、取材不足もはなはだしい。取材をしていないのではないかと思う。参考までに、公安調査庁のウエブサイトにあるURNGの説明を紹介しておこう。間違いだらけである。

■公安調査庁のウエブサイト

内戦中、だれがグアテマラを「殺戮の荒野」に陥れ、だれが生命を奪われたのかを現地へ行って再取材すべきだろう。情報は客観的でなければいけない。