1. 中米エルサルバドルの大統領選、FMLNが僅差でリード、投票結果の再集計へ、ラテンアメリカで進む構造改革=新自由主義からの脱皮

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2014年03月13日 (木曜日)

中米エルサルバドルの大統領選、FMLNが僅差でリード、投票結果の再集計へ、ラテンアメリカで進む構造改革=新自由主義からの脱皮

9日に行われた中米エルサルバドルの大統領選挙の決戦投票は、選挙管理委員会が公式に勝者を宣言できない状態になっている。決戦投票は、左派のFMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)のサルバドル・サンチェス・セレン氏と、右派のノルマン・キハノ(元サンサルバドル市長)の間で行われた。

得票率は、サンチェス・セレン氏が50・11%、対立候補のノルマン・キハノ氏が49.89%の僅少差だった。このために選挙管理委員会は、開票結果を再検証している。

ただ、10日付けのNew York Timesは、サンチェス・セレン氏のリードが覆ることはないだろう、との選挙管理委員会の談話を伝えている。

FMLNは2009年の大統領選で初めて勝利したが、この時のマウリシオ・フネス大統領は、ジャーナリストでFMLNのメンバーではなかった。今回、出馬したセレン氏は、内戦(1980年?92年)を戦ったFMLNのメンバーである。

◇塗りかわる政治勢力図

かつてラテンアメリカといえば、コスタリカのような少数の例外を除くと、概して軍部の勢力が極めて強い地域だった。多国籍企業の利権を守るために、米軍による軍事介入が頻繁に繰り返されてきた地域である。

ところが1998年のベネズエラ革命を機に、次々と左派の政権が誕生するようになった。しかも、かつてのように米軍による軍事介入も、ほとんどできなくなっている。

政治手法も、旧来の社会主義国とは異なり、議会制民主主義を重視しながら、徐々に福祉国家をめざす柔軟路線を取っている。

次に示すのは、カリブ海諸国を除くラテンアメリカ(スペイン語圏・ポルトガル語圏)における大統領名と政治傾向である。赤文字の大統領が、左派、または中道左派を示す。

メキシコ:エンリケ・ペーニャ・ニエト

ホンジュラス:フアン・オルランド・エルナンデス

グアテマラ:オットー・ペレス・モリーナ

エルサルバドル:マウリシオ・フネスン??

ニカラグア:ダニエル・オルテガ

コスタリカ:ラウラ・チンチージャ

パナマ:リカルド・マルティネリ

コロンビア:フアン・マヌエル・サントス

ベネズエラ:ニコラス・マドゥロ?

ペルー:オジャンタ・ウマラ

エクアドル:ラファエル・ コレア

チリ:ミチェル・バチェレ

アルゼンチン:クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル 

ボリビア:フアン・エボ・モラレス・アイマ 

パラグアイ:オラシオ・マヌエル・カルテス・ハラ

ウルグアイ:ホセ・ムヒカ?

ブラジル:ジルマ・ヴァナ・ルセフ 

◇構造改革=新自由主義の失敗が背景に

なぜ、ラテンアメリカの政治地図は塗り変わったのだろうか。もともとラテンアメリカは社会運動が盛んな地域だったということもあるが、それよりも決定的な引き金になったのは、米国が押し付けた構造改革=新自由主義の失敗である。

このあたりの事情については、朝日新聞の伊藤千尋記者が、次のように簡潔に解説している。

左傾化のきっかけは90年代に米国が主導する国際通貨基金(IMF)が南米各国に押しつけた新自由主義政策だ。民営化や規制緩和を過度に進めた結果、地場産業が崩壊し失業が増大して格差が拡大した。

「IMFの優等生」といわれたアルゼンチンでは金融危機に陥って暴動となるなど各国で社会が混乱し、大統領選挙では有権者が新自由主義反対を掲げる反米左派の候補に流れた。

これら左派政権の国は経済では南米南部共同市場に結集し、政治的には04年に南米国家共同体の構想を打ち出した。米国が進める米州自由貿易地域に対抗する構えだ。ベネズエラでは05年、キューバやアルゼンチンなどが資本参加した反米スペイン語テレビ局が放送を開始した。

ブラジルやベネズエラなどが石油を共同開発する「ペトロスール」も設立された。中でもベネズエラのチャベス政権とボリビアのモラレス政権は、キューバのカストロ政権に急速に接近している。ボリビアの天然ガス国有化に対して不利益を蒙るブラジルも国有化を容認するなど結束を見せている。

■出典:勢いを増す南米の左派政権 ?

構造改革=新自由主義の失敗をアベノミックスという対症療法でしのいでいる日本にとって、ラテンアメリカのモデルは参考になる。構造改革=新自由主義は、失敗が必然と言っても過言ではない。

◇ゲリラ組織から合法政党へ

FMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)は、もともとは1980年に5つのゲリラ組織が統一された解放戦線である。前年に隣国ニカラグアのFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)が新政権を樹立した影響が、エルサルバドルにも及びFMLNの結成に繋がった可能性が高い。

実際、FMLNは結成後、ただちに首都サンサルバドルへ向けて大攻勢をかけた。政府軍は戦意を喪失して、「第2のニカラグア」を免れないと見られていたが、米国の強力な軍事介入が始まり、1992年まで泥沼の内戦状態になったのである。

92年に和平が成立して、FMLNは合法政党に生まれ変わった。それから17年後の2009年、FMLNは初めて大統領選で勝利した。

エルサルバドル内戦の記録は、やはり米国の映像ジャーナリストが記録している。