国境なき記者団の「報道の自由度ランキング」は、本当に信頼できるのか?
フランスに本部がある国境なき記者団が、2014年度の「報道の自由度ランキング」を発表した。1位から20位までのランキングの中に、欧州と北欧の17カ国がランクインしている。
主なランキングは次の通りである。
1位:フィンランド
2位:オランダ
3位:ノルウェー
4位:ルクセンブルグ
5位:アンドラ
1位から5位は、前年のランキングそのままである。
46位:アメリカ合衆国
59位:日本
125位:グアテマラ
新聞の印刷部数やHPへのアクセス、それに視聴率など、客観的に数値で測定できるものにランキングをつけるのであれば、それなりに有意義な情報になるが、果たして「言論の自由度」といった抽象的で、個人の主観に依存する要素が多いものを序列化できるのだろうか?疑問が多い。
◇グアテマラの激変
わたしがこのランキングに違和感を抱いたきっかけとなったのは、たとえばグアテマラが125位にランクされ、しかも、前年よりもランクを下げている事実である。180カ国中で125位であるから、末位から数えた方が早い。
しかし、評価の対象となった2013年度、グアテマラのメディアは、同国で起こったある歴史事件を大々的に伝えている。それがいかに民主主義と言論の自由の画期的な前進で、世界に衝撃を与えているのかを、国境なき記者団が認識していなとすれば、それ自体が憂うべき現象だ。
1980年代のグアテマラの政情を知っている者であれば、国境なき記者団が決めた125位というランキングが、いかに実態とかけ離れているかが分かる。30年前と今では、まったく異なる。
◇ 裁判官の正義と勇気
MEDIA KOKUSYOでも繰り返し報じてきたように、2013年の5月14日、グアテマラの裁判所は、3人の判事の全会一致で、元大統領(出身はグアテマラ軍の将軍)リオス・モントに対して、禁固80年の判決(ジェノサイドに対して50年、人道に対して30年)を言い渡した。さらに裁判所は、現職の大統領を含むジェノサイド作戦に加担したすべての関係者に対する調査を命じた。
もっともこの判決はその後、憲法裁判所の判断で、無効になり、再審が予定されている。
ただ、憲法裁判所は判決の無効を言い渡したとはいえ、5人の判事のうち2人は、「無効」に反対した。また、「賛成」した側の判事にも一定の正当性な理由はある。グアテマラには内戦を集結させ和平を実現させるための恩赦を認める法律があり、憲法裁判所は、なぜ、リオス・モントに対してだけは、恩赦が適用されないのかを疑問視したのである。が、同時にジェノサイドに対しては、恩赦を適用しない法律もある。
元大統領がジェノサイドで有罪判決を受けたのは、世界史の中で初めてである。欧米諸国で、過去の戦争犯罪が裁かれたというのであれば、民主主義がまた前進したという共通認識が浸透する程度で、驚きには値いしない。
◇中米紛争とレーガン政権
しかし、グアテマラは前世紀までは、「殺戮(さつりく)の荒野」だった。 その背景には、同じ中米で起こったニカラグア革命の影響が近隣諸国へ波及することを恐れる米国レーガン政権の影があった。
1979年7月、ニカラグアのFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)が、それまで40年に渡って同国の産業も軍も政界も支配していたソモサ一家を 追放して、新政権を打ち立てた。これに触発された隣国エルサルバドルでは、それまでばらばらだったゲリラ組織が統一されFMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)を結成して、首都へ向けて攻勢をかけた。グアテマラでも同じような民族自決の動きが活発化した。
これに焦った米国レーガン政権は、ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラの3カ国と国境を接するホンジュラスを米軍基地の国に変えて、ニカラグアの反政府ゲリラとエルサルバドル政府軍、それにグアテマラ政府軍の全面支援に乗り出した。
こうしたなかでグアテマラで、極めて残忍非道なジェノサイド作戦が展開されるようになったのだ。それは、軍が山間部の集落を急襲して、村人を広場に集め、空になった民家を家宅捜索し、武器の類が発見されると、解放戦線のシンパとみなし、その家の住人をその場でみせしめに射殺するという残忍なものだった。
同じ時期に、ニカラグア内戦とエルサルバドル内戦が国際ニュースの表舞台に登場していたために、グアテマラで起こっていたことは、ほとんど知られていなかった。それでも米国の映像ジャーナリストたちが命懸けで撮影した記録が残っている。
■When the Mountains Tremble????
◇日本の裁判所よりも正義がある
その後、1990年のエルサルバドルでの和平を皮切りに、中米諸国は内戦を終結させていく。そして今世紀に入ると、ラテンアメリカ全体が激変の時代を迎える。1999年のベネズエラを皮切りに、次々と左派や中道左派の政権が誕生し始めたのである。キューバの孤立も解消した。
かつてラテンアメリカの政治を語るキーワードといえば、軍事政権であったが、それが完全に過去のものとなったのだ。こうした民主主義成熟の流れの中で、リオス・モントが禁固80年の判決を受けたのである。最高裁の顔色ばかりをうかがっている日本の裁判官とは質が異なる。
グアテマラの主要紙「プレンサ・リブレ」は、判決が言い渡される場面を画像つきで報じている。裁判所の中に、テレビカメラが入っているのだ。日本では法廷内での写真撮影や録音・録画を禁止されているが、グアテマラではテレビカメラが入り、判決を中継している。
この事件を解説する記事は、次のように判決を評価している。
判決の事実をまえに、われわれは、判決が過去の傷を癒すこと、正当な裁きの実施が、犠牲者救済の権利の行使であることを確信する。それにより、このような事を2度と繰り返してはならないという認識を確かにし、我が国の司法を成熟させる。と、いうのもグアテマラ国民は、われわれのアイデンティティ(帰属意識)、多重文化や多重言語の豊かさ、言論の自由の尊重をかみしめて、平和に生きることを願っているからだ。このようなことが繰り返されることを、われわれは望まない。グアテマラが平和に生存するためには、なによりも正義がなくてはならない。
この判決の影響なのか、隣国エルサルバドルでも、戦争犯罪の検証が始まっている。そのエルサルバドルは、38位。グアテマラの126位よりは上位だが、まったく根拠が分からない。
抽象的な概念の序列化は、まったく意味がない。両者の差はなにか、さっぱり分からない。