1. 映像ジャーナリズムの最高傑作、ミゲル・リティン監督『チリ潜入記』

ラテンアメリカに関連する記事

2018年07月14日 (土曜日)

映像ジャーナリズムの最高傑作、ミゲル・リティン監督『チリ潜入記』

『戒厳令下チリ潜入記』(岩波新書)という本をご存じだろうか。チリの映画監督で、1973年の軍事クーデターで海外へ亡命したミゲル・リティンが、1985年に、祖国に潜入して軍事政権下の実態を動画で記録したときの体験を、コロンビアのノーベル賞作家・ガルシア=マルケスが、聞き書きしたものである。当然、筆者はこの本は実話(ルポルタージュ)だと思っていた。

ところがミゲル・リティン監督が制作した動画のドキュメンタリーと、『戒厳令下チリ潜入記』の内容が異なっていることが最近分かった。この本は、半分創作である。その是非はともかくとして、実話の意味を再考する必要があるようだ。

両者の違いが典型的に現れているのは冒頭である。動画では、変装したリティン監督が、早朝にチリの空港に到着する。動画をみれば、それが早朝であることがすぐに分かる。

ところがガルシア=マルケスの本では、リティン監督が深夜に空港に到着する設定だ。そして予想に反して、ネオンが輝く繁栄したチリの姿に戸惑う様が描かれる。どうやらガルシア=マルケスは、新自由主義の光と影を対比させるために、リッテン監督が深夜に到着して闇の中にネオンの輝きを見る設定にしたようだ。この本は、創作である。

次に紹介するのは、2016年9月12日のバックナンバーである。

【バックナンバー】チリの軍事クーデターから43年、映像ジャーナリズムの最高傑作『チリ潜入記』

 

【前半】

【後半】

チリの軍事クーデターから、43年が過ぎた。

ラテンアメリカの諸紙によると、クーデターで亡くなった「サルバドール・アジェンデ元大統領と1973年の軍事クーデターを記憶するための儀式、オマージュ、それに記念行事が9月11日に各地で行われた」(チリの国営新聞『LaNacion』)

1970年にチリは、大統領選挙で社会党のサルバドール・アジェンデが当選して、社会党、共産党、キリスト教民主党の連立政権(UP)が成立した。これは世界史上ではじめて、選挙によって成立した社会主義をめざす政権だった。

しかし、米国のニクソン政権は、チリに多国籍企業が進出していることなどから、アジェンデ政権に猛反発して、経済封鎖などさまざまな策略をめぐらせる。資本家の〈ストライキ〉まで起こり、チリ経済は混乱に陥った。

しかし、1973年の総選挙でUPが勝利して合法的にアジェンデ政権を倒せないことが明らかになると、米国CIAがピノチェット将軍と共謀して、軍事クーデターを断行。アジェンデ政権の支持者に銃弾が襲い掛かった。国立サッカースタジアムでは、連行されてきた多くの人々が命を落とした。歌手のビクトル・ハラも銃弾に倒れたひとりである。

◇政治家とは何か?

テロは全土に広がり、ピノチェットによる軍事政権が敷かれた。チリはスパイの眼が光る国になったのである。

不幸中の幸いで死を免れ、国外追放になった人物のひとりに、映画監督ミゲル・リティンがいた。クーデターから13年を経た1985年、リティン監督は、パラグアイ籍のビジネスマンに変装し、偽のパスポートを所持して、空港から堂々とチリに潜入した。

潜入に先立つて、CM撮影を口実として、3つの撮影部隊をチリに送り込んでいた。リティン監督は、撮影部隊と連絡を密にしながら、軍事政権下のチリの実態をカメラで記録したのである。

『チリ潜入記』は、映像ジャーナリズムの最高傑作のひとつだ。とりわけ後半が圧巻だ。たとえば、クーデターの中でなくなったパブロ・ネルーダ(1970年のノーベル文学賞受賞者でアジェンデの親友)の家が立ち入り禁止になっている様子を撮影している。当時、ピノチェットに対峙して武装闘争を展開していたマヌエル・ロドリゲス愛国戦線(FPMR)との会見も実現し、その映像を収録した。さらにクーデターの勃発からアジェンデの死までを秘書や主治医など側近たちの証言で再構成している。

歴史の事実は、映像や文字で記録しておかなければ消えてしまう。その意味で、『チリ潜入記』は、ラテンアメリカの歴史の中で、極めて貴重なジャーナリズムの功績なのである。

日本の政治家にアジェンデの最後の1日を証言で構成した部分をよく見ていただきたい。自民党だけではなく、大衆の顔色ばかり気にしている野党にも見ていただきたい。政治家とは何かがよく分かる。政治家が豪邸に住んだり遊び人ではだめなのだ。

 

【写真】左:ミゲル・リィティン  右:ガルシア=マルケス