1. メキシコで初の左派政権が誕生、政治亡命者に寛容な国民性

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2018年07月03日 (火曜日)

メキシコで初の左派政権が誕生、政治亡命者に寛容な国民性

7月1日に投票が行われたメキシコ大統領選で、初めての左派大統領が誕生した。 アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(国民再生運動)が、圧勝して、2018年12月から左派政権が誕生することになった。

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ラテンアメリカでは、今世紀に入るころから、次々と左派政権が誕生してきたが、このところ右派が再度勢力を挽回する兆しが見えていた。メキシコは北の大国・アメリカ合衆国と国境を接しており、左派政権の誕生は、反米色が濃いラテンアメリカ全体に大きな影響を及ぼしそうだ。

ただ、筆者はアンドレス・マヌエル・ロペスオブラドール氏の経歴をほとんど知らない。したがって現時点での評価は避けるが、メキシコの国柄については、詳しい。

筆者がはじめてメキシコへ行ったのは、1984年である。それから1994年までの間、述べ日数にして3年ぐらいメキシコに滞在した。当時は、PRI(制度的革命党)の保守政権だったが、言論の自由も保障されていた。そのためか社会運動が活発で、亡命者に対しても極めて寛大だった。

かつてのラテンアメリカは、軍事政権の国が多く、それに伴い迫害された人々が、同じスペイン語圏のメキシコへ亡命するケースも多かった。

1984年の滞在は、スペイン語の習得が目的だった。メキシコ市からバスで1時間ほどの所に位置しているクエルナバカ市にある語学学校へ通っていた。授業が終わる14時ごろになると、エルサルバドルからの難民がミニコミ紙を持参してやってくることがよくあった。自分たちの国での人権侵害の実態を、外国人に訴えることが目的だった。

スペイン語学校もこうした活動に協力していた。

軍事政権下のグアテマラやチリから亡命してきた人々にもあった。メキシコはラテンアメリカでは、亡命者には寛容なのだ。

1989年は、スタートしたばかりのホンダ技研の工場で通訳として働いた。在職中に、工員のストライキが発生した。ストライキの首謀者を捜す際にも、当然、通訳するのだが、その時のメモを自宅へ持ち帰り、文章に起こす作業を続けた。在職中に大量の記録を取った。この記録が、拙著『バイクに乗ったコロンブス』(現代企画室)である。

単行本にまとめるのに時間を要し、1994年に『朝日ジャーナル』の別冊に掲載(原題は、「説教ゲーム」)された。そのときは、メキシコ日産の工場通訳をしていたのだが、ホンダ技研のルポ掲載が発覚して解雇された。しかし、日産の記録はほとんどない。

当時のメキシコは人件費が安く、日系企業が次々と工場進出を始めていた。筆者は、メキシコで働きながら、断続的に中米紛争(ニカラグア、エルサルバドル)を取材していたのだが、これら2つの地域を見ることで、多国籍企業と海外派兵の構図がはっきりと見えるようになった。

当時、中米には、米国のレーガン政権が軍事的な介入を強めていた。理由は単純で、多国籍企業(特にドール社などの果実会社)の権益を守るためである。左派政権の誕生を阻止しなければ、多国籍企業の権益が侵されるからだ。海外派兵の本質は、日本の場合も同じだ。国際貢献というのは口実で、多国籍企業の権益を守るために、派兵が行われているのだ。

メキシコでも、中米紛争に関する関心は高かった。大きな公園に行くと、中米紛争の実態を知らせる出版物などが、露店で販売されていた。一応価格は設定されているが、運動目的の販売なので、割引が当たり前になっていた。

メキシコには数多くの多国籍企業が進出している。特に米国との国境沿いには、大きな工場地帯がある。今後、左派政権が多国籍企業に対してどのような政策を採り、米国や日本がどう反応するのか目が離せない。北米自由貿易協定(NAFTA)の扱いも大きな注目の的だ。

繰り返しになるが、他のラテンアメリカ諸国への影響も注視する必要があるだろう。

【写真】 アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール氏(出典:Prensa Latina)