1. チェ・ゲバラ没50年、世界各地で歴史を記憶に留め、継承する試み

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2017年10月10日 (火曜日)

チェ・ゲバラ没50年、世界各地で歴史を記憶に留め、継承する試み

チェ・ゲバラがボリビアの山中で処刑されてから、10月9日で50年になった。キューバやボリビアをはじめ世界各地で、チェ・ゲバラが歩んだ足跡を記憶に留めるためのさまざまな催しが行われた。

ボリビアのモラレス大統領は、ツイッターでも、「チェ・ゲバラの死から50年。人類の平等や解放といった難しい戦いに対峙する時、ゲバラの記憶は若い世代に受け継がれている。」というメッセージを発表した。(■出典)

日本のメディアも、ゲバラの没50年を盛んに報じている。映画「エルネスト」も上映されている。8月には、ゲバラの写真展も開かれた。

毎日新聞:<ボリビア>ゲバラ没後50年 3000人が英雄しのぶ

時事:チェ・ゲバラ没後50年、記念式典で国民が英雄しのぶ キューバ

文春:オダギリジョーが“もうひとりのゲバラ”を熱演 映画「エルネスト」を採点!――シネマチャート

◇ラテンアメリカを放浪

チェ・ゲバラは、1928年6月にアルゼンチンで生まれた。医学部を卒業した後、ラテンアメリカの旅にでる。ラテンアメリカはメキシコからチリの南端まで広大な大地で、そこには多様な民族や文化が生きている。ゲバラは長い旅の中で、この大陸の人々が置かれてる悲劇的な現実を凝視するようになる。

そんな時、中米のグアテマラで大がかりな政治改革が進行していた。後に「グアテマラの春」(1944年~1954年)と呼ばれる時代である。ゲバラは改革とは何かをわが眼で見たのである。

やがて大きな転換期が訪れる。当時のグアテマラ政府が、CIAとUFC(ユナイティド・フルーツ・カンパニー)による軍事クーデターで崩壊し、強固な軍事政権が敷かれたのだ。ゲバラはメキシコへ逃れた。そこで亡命中のフィデル・カストロらと知り合い、軍事訓練を経た後、軍医としてキューバ革命の部隊に加わったのである。

キューバへの潜入は、「グランマ号」と呼ばれる12人乗りのヨットに82名が乗り込んで、実行に移された。その時の様子を、当事者のファウスチーノ・ペレスが、次のように記録している。

 ヨットはゆるやかに出帆した。モーターだけが動いていた。全員がはげしい感動と沈黙に見舞われていた。私は一瞬息をつめた。というのも少しでも音をたてたら目的に支障をきたすのをおそれていたから。川を下るのに半時間かかった。それからすぐメキシコ湾に入った。数分後、もう沈黙する必要はないと判断し、全員合唱しはじめた。

「いざ行け戦陣へ、バヤーモ人、祖国は君らに誇りを求めん・・・」

 国歌ほど美しいものはない。
 風ははげしく吹きすさび、荒れ狂う波は、グランマ号の船体をもてあそんだ。喜びは濃い霧の中にとけ込み、不快感、嘔吐、疲労にかわった。われわれは不測の事態に悩んだ。次の日、だれかが叫んだ。「水だ!」。船体は傾いてた。ヨットの内部に水が増えてきた。排水ポンプは故障していた。われわれは桶を使った。

まもなくポンプは直り、平静を取り戻した。だが、不安はまだ去らなかった。水平線上の船、空の飛行機がわれわれの気をもませた。飢えと睡眠不足に悩んだ。ただ、パイロットが繰り返す言葉がわれわれを元気づけた。

「ヨットのへさきとともにキューバに向かっている。」(出典:『キューバ革命への道』三一書房)

グランマ号は、キューバのコロラーダの砂浜にたどりついたが、上陸後、政府軍の猛攻にあい革命軍は大半の勢力を失う。

◇カストロの国連演説

キューバが目指したのは、人間の尊厳を守る政治である。平等に医療や教育を受ける、ある意味では当たり前の権利である。実際、医師ひとりあたりの患者数は、現在、世界第2位である。医療は、旅行者も含めて無料だ。

1979年にフィデル・カストロが国連で行った有名な演説がある。カストロは、同じ地球上に、裸足で歩かざるを得ない人々がいる一方で、車で移動する人々がいること、35年の寿命しかない人々がいる一方で、70年の寿命の人々がいる事実などを指摘して、文明化も国連も機能していない、という意味の発言をした。(■出典)

キューバの政治が目指す方向性がよく現れていた。

◇グランマ号の人々の余命

ゲバラは革命後、カストロ政権に参加したが、やがて第3世界の民族自決の戦いを支援するようになる。アフリカのコンゴにも入っている。ボリビアには、変装して潜入した。なぜ、第3世界の人々の戦いを支援したのか、本人にインタビューしなければ分からないが、革命戦争で多くの仲間を失ったからではないかという気がする。とりわけ上陸直後のグランマ号の仲間たちの死が影響したのではないかという気がする。

出典は記憶していないがフィデル・カストロがどこかで、「自分は、こんな年になるまで生きれるとは思わなかった」と語っていたが、グランマ号の生存者にとっては、革命後の生は予期していなかったということなのだろう。だかチェ・ゲバラは自分の「余命」をおしみなく民族自決の戦いに捧げたのだろう。

もちろん後年、伝説の人になることなど考えていなかった。

日本では、総選挙が始まった。筆者は、日本の政治家で、「改革」を叫んでいる政治家たちを見ていると、茶番劇を連想する。特に悪いのはタレント系。スポーツ系。これらの人材を採用する側も、本当のバカだ。

自分の命をかけて世界を変える事業に取り組む政治家などだれもない。そんなことよりも、どうして選挙に勝って、「政治家」として生き延びるかという個人的な問題しか考えていない。これでは日本は変わらない。