1. チリの軍事クーデターから44年、米軍が繰り返してきた他国への軍事介入の典型

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2017年09月12日 (火曜日)

チリの軍事クーデターから44年、米軍が繰り返してきた他国への軍事介入の典型

チリの軍事クーデターから9月11日で44年が過ぎた。「9・11」といえば、米国の同時多発テロの日として知られているが、もうひとつの「9・11」と呼ばれるのがチリの軍事クーデターである。

この事件は米国CIAが、当時、チリで成立した左派政権を軍事クーデターで倒し、その後、ピノチェットによる軍政を敷いたというものである。

1970年、チリの大統領選挙で社会党のサルバドール・アジェンデが当選して、社会党、共産党、キリスト教民主党のUP(人民連合)が成立した。これは世界ではじめて、選挙によって成立した社会主義をめざす政権だった。日本の共産党や社民党が政権を取っても、現段階で社会主義をめざすことは絶対にあり得ないが、アジェンデ政権は最初から社会主義を目指したのだ。

しかし、米国のニクソン政権は、チリに多国籍企業が進出していることなどから、アジェンデ政権に猛反発し、経済封鎖などさまざまな策略をめぐらせた。資本家の〈ストライキ〉まで起こり、チリ経済は混乱に陥った。

アジェンデ政権は崩壊するのではないかとする見方が有力だった。しかし、1973年の総選挙でUPが勝利する。この時点でアジェンデ政権を合法的に倒せないことが明らかになった。そこでCIAがピノチェット将軍と共謀して、軍事クーデターを断行したのである。アジェンデ・大統領は、銃で抗戦中に死亡した。

クーデター後、凄まじいテロが全土に広がった。米国による最も重い犯罪のひとつである。

◇クーデターの記憶

クーデターからすでに44年が過ぎたが、ラテンアメリカでは「9・11」が過去の事件として忘れられたわけではない。11日にはチリで記念行事が行われた。ツイッター上でも国境を超えて、クーデターに言及した投稿が目立つ。

たとえばエルサルバドルの政権党・FMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)の公式ツイッターは「1973年のチリの軍事クーデター、社会主義をかかげた最初の大統領サルバドール・アジェンデが殺害される」と述べ、写真も掲載している。(写真上)

この事件は、人々の脳裡に記憶されているのである。

◇米国、海外派兵の繰り返し

チリの「9・11」は、テロ国家としての米国の体質を露呈したといっても過言ではない。前世紀まで、米国はラテンアメリカに対する軍事介入を繰り返している。今、最も懸念されている軍事介入は、ベネズエラに対するものである。北朝鮮よりもこちらが先かも知れない。

次に示すのが、戦後、米国がラテンアメリカに対して行った主要な軍事介入である

■1954年 グアテマラ

■1961年 キューバ

■1964年 ブラジル

■1965年 ドミニカ共和国

■1973年 チリ

■1979年 ニカラグア内戦

■1980年 エルサルバドル内戦

■1983年 グレナダ

■1989年 パナマ

改めて言うまでもなく、すべて米国の一方的な介入である。

◇誰が北に先制攻撃を仕掛けるか?

日本では、日米軍事同盟によって日本を防衛する政策が当たり前のように語られているが、これは米軍の体質を知らないことに原因がある。海外で米軍が何をやっているのかが報じられないことに大きな原因があるようだ。

チリの軍事クーデターの直後に病死した詩人のパブロ・ネルーダは、当時、米軍がベトナムで断行していた激しい北爆の残忍さを凝視することで、チリの軍事クーデターを予測していた。そしてその予想は的中したのである。

このところ北朝鮮と米国の間で緊張が高まっているが、先制攻撃を仕掛けるとすれば、それは米国側の可能性が極めて高い。

チリの「9・11」を機に、米軍やCIAについて再考する必要があるだろう。