チェ・ゲバラ没50年、プレンサラティナが写真特集
今年はチェ・ゲバラが没して50年にあたる。医師、文筆家、革命家、そして国際主義者。1967年10月8日、ボリビアのアンデス山脈にあるチューロ渓谷の戦闘で捕えられ、翌日、銃殺刑に処された。
このところキューバのプレンサラティナ(紙)が連日、同紙が撮影し保存しているゲバラの写真を掲載している。これまで筆者がほとんど見たことのない写真ばかりである。
冒頭の写真は、オスバルド・ドルティコス大統領(大統領職1959年~1976)とカストロ首相が米国の銀行を国有化するための書類にサインする場に立ち会っているゲバラである。
以下、いくつかの写真を紹介しておこう。
◇医学生1000人を受け入れ
5日付けの朝日新聞が、キューバについての記事を掲載している。タイトルは、「元ゲリラの再出発、キューバ手助け 医学生1000人受け入れ、コロンビアから」。
半世紀続いた内戦の末、6月27日に武装解除の終了を宣言した左翼ゲリラ、コロンビア革命軍(FARC)。今後の課題は元戦闘員をどう社会復帰させるかだ。「医療での国際貢献」が国是のキューバは、元戦闘員ら1千人を医学生として受け入れる意向を示した。(ハバナ=平山亜理)
キューバの国際貢献の重要な柱に、医師や教師の派遣がある。キューバは医師の養成に力を入れており、WHOの調査によると人口1000人あたりの医師の数は、6.723人で世界第2位である。(2010年の調査)
1985年に筆者は、革命から6年を経たニカラグアを取材したことがある。当時は内戦の最中ということもあって、たくさんの医師がキューバから支援に来ていた。メキシコでも、医療研修で滞在しているキューバ人医師らにあった。長期滞在者向けの「下宿屋」で、一緒だった。
教師の派遣にも力を入れている。1985年のニカラグアは、革命後の文盲撲滅キャンぺーが展開されていて、軍事独裁政権の下で教育を受ける機会がほとんどなかった労働者や農民が、仕事が終わった後、読み書きを習っていた。
ちなみにニカラグアに対する支援は、キューバだけではなく、米国の市民による支援も、規模が大きかった。新政府も、外国人の入国を歓迎していた。国の実情を、自分の眼で見てほしいという考えがあったのだろう。
こうした国際間の市民レベルの取り組みが国際主義である。
◇キューバの国際主義
他国の市民をあたりまえに支援する思想はどこから生まれたのだろうか。正確な答えは分からないが、それはゲバラの生きかたでもあった。キューバ革命の後、ゲバラはコンゴやボリビアの革命運動を支援している。
他国におけるゲリラ戦を支援する是非については、さまざまな議論があるが、少なくとも抑圧された民族を支援するという精神は崇高だろう。米国が軍事独裁政権下の軍隊に米国人司令官を送り込んで、軍事訓練を指揮するのとは意味が違う。
プレンサラティナで始まったゲバラの写真特集は、キューバの思想を象徴している。