1. ニカラグア革命37周年、「ニカラグアの人はみんな詩人ですよ」

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2016年07月19日 (火曜日)

ニカラグア革命37周年、「ニカラグアの人はみんな詩人ですよ」

南北のアメリカ大陸をつなぐ地峡の小国・ニカラグアは、19日、37回目の革命記念日を迎える。37年前、FSLN(サンディニスタ民族解放戦線)とニカラグアの人々は、ラテンアメリカ史の中でも最も残忍非道な独裁政権のひとつだったソモサ王朝(親子3代約40年)を倒したのである。

ラテンアメリカのメディアによると、17日には、「歓喜の日(Dia de Alegria)」のパレード(冒頭写真=出典Voz de Sandinismo)が行われた。「歓喜の日」は独裁者ソモサが、マイアミに亡命した日を記念する祝日である。37年前の早朝、三代目ソモサはヘリコプターで空港へ移動し、そこから自家用ジェット機に乗って米国のマイアミへ亡命したのである。その後、パラグアイで何者かに暗殺された。

しかし、ニカラグアの人々の歓喜は続かなかった。FSLNが首都を制圧してまもなく、ニカラグア上空に米軍の偵察機ブラックバードが現れ、猛スピードで飛行しながら、ニカラグア全土の航空写真を撮影して持ち帰ったのである。

◇亡命者の視点

それから米国レーガン政権は、ニカラグアの隣国ホンジュラスを、米軍基地の国に変え、傭兵に軍事訓練をほどこし、新生ニカラグアの攻撃に乗りだしたのである。ニカラグアは、以後、10年のあいだ泥沼の内戦状態に突入する。

わたしが初めてニカラグアを取材したのは1985年である。大学を休学して現地に足を運んだ。その後、取材の範囲をエルサルバドルとグアテマラにも広げた。これら両国でも、ニカラグアとよくにた構図の内戦が激化していた。

1987年からはメキシコに在住して、断続的に中米紛争を取材した。メキシコは、他のラテンアメリカ諸国からの亡命者(たいていは軍事政権に迫害された人々)の受け入れに寛大な国で、彼らがラテンアメリカ諸国の内戦をどのように見ているかも知ることができた。

わたしは亡命者たちの言葉を記憶に刻んだが、その中で最も印象に残っているのは、グアテマラから亡命してきた医者が呟いた次の言葉だった。

「ニカラグアの人はみんな詩人ですよ」

◇詩人のイメージ

この医者がメキシコに移り住んだのは、1970年代である。軍事政権の迫害からメキシコに逃れたのである。グアテマラは一見すると平穏な国のようにみえるが、警察の監視の目が極めて厳しく、解放戦線のシンパの疑いがかけられると、誘拐して殺害されると見て間違いなかった。革命前のニカラグアもまったく同じレベルの人権侵害と暴力がまかり通っていた。現在の北朝鮮・金王朝のようなものだった。

迫害の体験をもつこの医師にとって、ニカラグア革命は希望の光だった。ところがそのニカラグアは、米国による経済封鎖と内戦に苦しめられていた。なにしろ国家予算の半分は内戦に投入せざるを得ない状態だったので、国民の生活は完全に破綻していた。

医者はニカラグアの行方を心配し、深い同情の念を寄せていた。内戦の混乱の中で、民族が分断されはじめていたのである。

実際、わたしが最初にニカラグアへ行った1985年には、すでにFSLNに批判的な人々にもたくさんであった。95年(戦後)の取材では、徴兵制によって息子を失った女性の怒りを記録できた。

メキシコに亡命した医者にとって、ニカラグアの惨状は自分が軍事政権の下で味わった苦痛に等しかったのだろう。同時に、北の大国を相手に闘い続けるニカラグアの人々に限りない敬愛の念を寄せていた。そして、「ニカラグアの人はみんな詩人ですよ」と呟いたのである。

ラテンアメリカでは、詩人とは、高い理想を求めて闘うひとのことである。
実際、初代のソモサをパーティーの場で暗殺したのも若き詩人・リゴベルタ・ロペス(写真)だった。1956年の事件である。

日本で詩人と言えば、神経質なインテリか奇人を連想することが多いが、ラテンアメリカではイメージそのものが異なる。

【参考図書】『バイクに乗ったコロンブス』(現代企画室、黒薮哲哉著)