1. 政界工作と裁判の多発、調査報道の実績はあるのか? 渡邉恒雄の軌跡

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2018年11月19日 (月曜日)

政界工作と裁判の多発、調査報道の実績はあるのか? 渡邉恒雄の軌跡

読売新聞の渡邉恒雄氏が死亡したという情報が、週末に飛び交った。文筆家の菅野完氏が発信源で、それを複数の人々がソーシャルメディアで拡散したのだ。真相はまだ分からないが、そろそろ渡邉氏についての検証を始める時期に来ているのではないか。

筆者は、渡邉氏がジャーナリズムに与えた最も大きな負の影響は、マスコミ企業と政界を癒着させたことだと思う。渡邉氏がメディア企業幹部との会食を重ねてきたことは周知となっている。取材目的の会食とは思えない。その後のレポートがないからだ。それよりも両者の情交関係を深めることが目的だったのではないか。

つまり新聞人としてはやってはいけないことを、新聞業界の「重鎮」が先頭に立って実践していたのである。それをとめる人もいなかった。

その結果、マスコミがジャーナリズム性を発揮しない限り政府は、新聞の再販制度を保証し、「押し紙」問題と折込広告の水増し詐欺を黙認し、さらには消費税の優遇措置を与える特権を維持してきたのである。。そのための交渉が会食の場で行われた可能性も否定できない。渡邉氏に政界との太い人脈があったから、こうしたあるまじき行為がまかり通っていたのだろう。

◇裁判の多発-真村・平山・黒薮・清武・七つ森書房

裁判を多発させたのも、渡邉氏の特徴である。言論による戦いよりも、裁判の方が得意だった印象を受ける。渡邉氏の裁判政略に協力したが、自由人権協会代表理事である喜田村洋一弁護士である。筆者は、この人物の思想が今だに分からない。

もちろん喜田村氏らが代理人を務めた裁判には、真村裁判のように販売店の側から起こしたものも多い。しかし、そうであっても販売店が裁判を起こさざるを得ない販売政策が背景にあった。たとえば次の判決に見る認定内容である。

真村裁判福岡高裁判決

真村氏は、仮処分の申し立てを含めると、少なくとも4件の裁判に巻き込まれた。

真村氏と同じ地区で販売店を経営していた平山春男氏も、仮処分を含めると複数の裁判に巻き込まれた。が、心労が重なったのか、係争中に亡くなった。

真村氏や平山氏と同じ時期に、筆者は3件の裁判を起こされた。筆者の側からは1件の裁判を起こした。つまり4件の裁判に巻き込まれたのである。さらに喜田村弁護士に対する懲戒請求の審理に3年を要した。

裁判で迷惑を受けたのは、真村氏、平山氏、それに筆者だけではない。他にも清武英利氏や、七つ森書房も裁判攻勢にあた。

このように渡邉恒雄氏の指揮の下で、読売は異常なほど裁判を多発させてきたのである。

ちなみに筆者は渡邉氏が記者として、どんな調査報道の実績があるのか知らない。「どんな仕事をしました?」という問いにどう答えるのだろうか。本多勝一氏には『戦場の村』が、斉藤茂男氏には、『わが亡きあとに洪水はきたれ!』があるが。