1. サンデーモーニング(TSB)が30年遅れで新自由主義をクローズアップ

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2020年01月05日 (日曜日)

サンデーモーニング(TSB)が30年遅れで新自由主義をクローズアップ

2020年最初のサンデーモーニング(TSB)が、新自由主義による弊害を取り上げた。ソ連が崩壊したあと、西側諸国が資本主義の国境を取り払い、グローバル資本主義が登場したという趣旨の単純な説明が行われた。詳細な部分では間違いもあるが、おおむね世界経済の流れの概要を説明している。

TBSが新自由主義を取り上げたのは、富裕層が富めばそのおこぼれが中間層や低所得層にも波及して、相対的に国民の生活水準を押し上げるという新自由主義の理想どうりにはならなかった事情があるようだ。格差がもはや修正不可能なまでに拡大して、「報道」のTBSとしてもメンツを保つために新自由主義をクローズアップせざるを得なかったのだろう。

日本で新自由主義の導入が始まったのは、1996年に成立した橋本内閣(自民)の時代である。しかし、当時のメディアは新自由主義という言葉をほとんど使わなかった。新自由主義のかわりに規制緩和という言葉を使ったのである。なぜ、彼らが新自由主義という言葉を使わなかったのかと言えば、おそらく新自由主義という言葉そのものを知らなかったか、知っていても新自由主義という言葉にこの経済政策に対する批判的なニュアンスがちん入する可能性を警戒したからではないかと思う。

新自由主義という言葉のかわりにマスコミが採用したのは、規制緩和であった。規制を緩和して経済を活性化するというプロパガンダを展開して、橋本内閣の経済政策をサポートしたのである。新自由主義という言葉を大マスコミが使いはじめたのはここ数年である。

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なぜ、橋本内閣が新自由主義の導入に踏み切ったのか。それは小沢一郎氏らが打ち出した政治改革路線(実は、この言葉もトリックで中身は新自由主義の導入)が財界の支援を受け、新自由主義の導入に舵を切らなくては財界から絶縁されかねない危機感があったからだ。焦った自民党は、橋本内閣の下で新自由主義の導入へと舵を切ったのである。

しかし、橋本内閣を次いだ小渕内閣と森内閣は、新自由主義の導入にもたついた。そこへすい星のごとく登場して、ドラスチックに新自由主義を導入したのが小泉純一郎氏だった。

小泉構造改革とは、急進的な新自由主義の導入策のことなのである。このあたりの事情は、政治学者・渡辺治氏の『構造改革政治の時代』(花伝社)に詳細に記録されている。

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TBSの新自由主義報道に接して、ようやく新自由主義という言葉が、日本でも表舞台に現れたという思いと同時に、釈然としないものを感じた。これまで盛んに「構造改革」や「政治改革」をあおった報道を展開していながら、何の反省もないからだ。

本来、新自由主義の批判は、1993年に小沢一郎氏が政治改革を叫び始めた時期に始めるべきだったのだ。30年も報道が遅れたことになる。これでは絶望的というより言葉がない。

日本のマスコミは、あまり大事ではない個人のプライバシーの暴露などは極端に早いが、肝心の問題は30年、あるいは50年の規模で遅れる。「押し紙」問題は40年を経てもまだ報じない。