1. 絶望・大阪府の2つの選挙、「維新の会VS自民党」の奇妙な構図、新自由主義の急進派と穏健派の争い

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絶望・大阪府の2つの選挙、「維新の会VS自民党」の奇妙な構図、新自由主義の急進派と穏健派の争い

マスコミが大阪を舞台にした2つの選挙をクローズアップしている。大阪府知事選と大阪市長選である。周知のように、これらの選挙では実質的に「大阪維新の会VS自民党」の構図で、首長の座が争われる。立憲民主党や共産党は独自候補を立てて、自分たちの主張を展開する姿勢さえも放棄している。

「大阪維新の会VS自民党」の構図のどこにトリックがあるのか?

結論を先にいえば、これらの選挙は、急進的な新自由主義政党である維新の会と、オーソドックスな、しかし、かなり過激な新自由主義政党である自民党の争いである。つまりどちらの政党が勝っても、現在の府政も市政も根本的には変わらないということである。

新自由主義を説明するためには、膨大な文字数が必要になるが、端的にいえば、国家による多国籍企業の育成策と、その具体策としての構造改革の断行である。企業の国際競争力を高めるために、法人税を下げ、公共サービスを民営化して企業に市場を提供する。国立大学も廃止する。こうした政策を総括すると、「小さな政府」を目指すということになりそうだ。それでいて同時に、大企業に対する手厚い援助にもいとまがない。

その結果、本来は中央政府が担うべき医療や福祉なども、将来的には地方にまるなげして、地方自治体の財政が乏しければ、その地方自治体の責任で公共サービスを切り捨ててしまう方向性が輪郭を現しはじめている。そのモデルケースが大阪都構想なのだ。

資本主義の初期は、企業活動に規制がなかった。そのために長時間労働が大手を振ってまかり通っていたのである。しかし、その後、資本主義に規制が敷かれるようになる。その理由は簡単で、ロシア革命により社会主義国が誕生したために、それに対抗するために、資本主義陣営の中でも、福祉国家を樹立する必要が生じたからだ。

ところが1970年代ごろから、資本主義陣営の中で、規制を撤廃する動きが浮上してくる。それが新自由主義である。その典型が、英国のサッチャー、米国のレーガン、チリのピノチェトだ。ラテンアメリカは、新自由主義の実験場にされたのである。

しかし、新自由主義がめざしたのは、古典的な資本主義へ回帰することではない。企業のグローバリゼーションと国際競争力の強化を前提とした政策だった。それを前提とした規制緩和策なのだ。【続きはウェブマガジン】