1. 連載・「押し紙」問題①、「記者の志がジャーナリズムを変えるという幻想」

「押し紙」の実態に関連する記事

2021年04月06日 (火曜日)

連載・「押し紙」問題①、「記者の志がジャーナリズムを変えるという幻想」

ウェブマガジン(有料)「報道されないニュースと視点」で、「押し紙」問題を新しい視点から捉えたルポルタージュを連載します。タイトルは、『「押し紙」とメディアコントロールの構図』。「押し紙」問題と折込広告の水増し問題についての最新情報を紹介すると同時に、新聞ジャーナリズムが機能しない客観的な原因を、「押し紙」を柱とした新聞のビジネスモデルそのもの汚点という観点から探ります。

1回目の序章の部分は、全文公開とします。 ■購読はここから

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆記者の志がジャーナリズムを変えるという幻想

新聞ジャーナリズムが権力監視の役割を果たしていないという指摘は、かなり以前からあった。新聞を批判してきた識者は数知れない。読者は、次の引用文がいつの時代のものかを推測できるだろうか。

【引用】たとえば、新聞記者が特ダネを求めて“夜討ち朝駆け”と繰り返せば、いやおうなしに家庭が犠牲になる。だが、むかしの新聞記者は、記者としての使命感に燃えて、その犠牲をかえりみなかった。いまの若い世代は、新聞記者であると同時に、よき社会人であり、よき家庭人であることを希望する

この記述は、1967年、日本新聞協会が発行する『新聞研究』に掲載された「記者と取材」と題する記事からの引用したものである。

50年以上前の新聞批判だが、現在でもこの種の新聞批判は絶えない。新聞ジャーナリズムが衰退した原因を記者個人の志の問題として捉える類型の典型である。この種の思考の根底には、記者の熱意ひとつで新聞はジャーナリズムになり得るという考え方がある。

1997年、日本新聞労働組合連合(以下、新聞労連)は、「新聞人の良心宣言」なるものを発表した。この宣言もやはり新聞記者が記者としての倫理観を身に着けることの重要性を強調するなど、記者の精神の在り方こそが新聞ジャーナリズムを立て直すための鍵であるという観点に立って作られたものだ。少なくともわたしは、そんなふうに解釈した。経営上の客観的な汚点がメディアコントロールの決定的な道具になるり、そこにメスを入れることが問題を抜本的に解決する道筋であるという認識は読みとれない。 端的に言うと記者に向けた精神論なのである。

「宣言」の「はじめに」の一部を印引用してみよう。

【引用】新聞が本来の役割を果たし、再び市民の信頼を回復するためには、新聞が常に市民の側に立ち、間違ったことは間違ったと反省し、自浄できる能力を具えなくてはならない。このため、私たちは、自らの行動指針となる倫理綱領を作成した。他を監視し批判することが職業の新聞人の倫理は、社会の最高水準でなければならない。

さらに『創』(2012年4月号)に掲載された「危機に瀕した新聞界の再生は可能か」と題する座談会でも、新聞関係者は新聞ジャーナリズムの衰退を記者個人の職能や精神の問題として捉える従来の傾向が見られる。たとえば発言者のひとりである共同通信編集主幹の原寿雄氏の次の発言である。

【引用】社会的な立場・身分として、今の記者は企業ジャーナリストであって、職業ジャーナリストになっていない。企業ジャーナリストとしてのマインドが、従順なジャーナリズム、政府と一体化するジャーナリズムを作ってしまっていると思います。私はその事を問題視してきたのですが、突破口が見つけられませんでした。
 その根本には、戦争報道の反省が薄いという問題があると思います。

これら3件の記述が説いている考え方が頭から間違っているわけではないが、日本の新聞ジャーナリズムが機能しない背景には、もっと別次元の客観的な問題があるというのが、これからわたしが展開する論考である。

記者個人の志というスタンスに立った新聞ジャーナリズムの改革には限界がある。その理由は簡単で、日本の新聞社は、公権力が合法的に介入できる経営上の汚点を内包しているからだ。政府、官庁、警察、裁判所などの公権力は、新聞社経営の汚点に着目することでメディアをコントロールできる。逆説的に言えば、新聞人は経営の安定を図るために、公権力と暗黙の情交関係を構築せざるを得ない構図になっているのだ。

しかし、公権力と新聞の特殊な関係は今に始まったことではない。たとえば新聞研究者の故新井直之氏は、『新聞戦後史』(栗田出版)の中で、戦前から戦中にかけて行われた言論統制のアキレス腱となっていたのが、公権力による新聞社の経営部門への介入であったことを指摘している。

新井氏は、日中戦争が原因で新聞用紙の使用制限令ができたことを説明した後、「1940年5月、内閣に新聞雑誌統制委員会が設けられ、用紙の統制、配給が一段と強化されることになったとき、用紙制限は単なる経済的意味だけではなく、用紙配給の実験を政府が完全に掌握することによって言論界の死命を制しようとするものとなった」と指摘している。
新井氏はみずからの説を裏付けるために、「新聞指導方針について」(1940年2月12日)と題する文書を紹介している。

【引用】・・幸ひここに新聞用紙の国家管理制度が現存する。現在商工省に於いてはこの用紙問題を単なる物質関係の『事務』として処理しているが、もしこれを内閣に引取り政府の言論対策を重心とする『政務』として処理するならば、換言すれば、政府が之によつて新聞に相当の『睨』を利かすこととすれば、新聞指導上の効果は実績を期待し得ることと信ずる。
 ・・・之を要するに現下の情勢では、新聞に対し有効な指導を行使し得る方法は新聞の『企業』を掣肘する方法以外にはないのである。」

新井氏は、新聞報道を統制する手段として、公権力が新聞社の経営部門へ介入することを政策として行っていたことを指摘しているのである。こういう事情は今でも変わらない。「押し紙」や折込媒体の水増しといった不法行為を、公権力が黙認することで、新聞業界は高い利益を得る。大企業として存続してきた。それを取り締まれば、新聞社経営がたちまち成り立たなくなる構図がある。
その構図が生み出す実態、あるいはビジネスモデルがどのようなものなのか、これから検証していこう。

■購読はここから