新聞のPRの手段としての新聞週間、肝心の「押し紙」問題はタブー視
10月15日から21日の一週間は、日本新聞協会が設けた新聞週間である。新聞関係者はさまざまなイベントを計画しているが、改めて言うまでもなく、その究極の目的は新聞のPRである。新聞がいかに大きな社会的使命を帯びたメディアであるかを宣伝することにほかならない。
それは毎年発表される大会決議にも現れている。たとえば昨年の新聞大会の決議の次のようなものである。
私たちが規範とする新聞倫理綱領は、正確で公正な記事と責任ある論評で公共的使命を果たすことが新聞の責務であるとうたっている。新聞は歴史の厳格な記録者であり、記者の任務は真実の追究である。
しかし、今、新聞への読者・国民の信頼を揺るがす事態が起きている。私たちはこれを重く受け止め、課せられた使命と責任を肝に銘じ、自らを厳しく律しながら、品格を重んじ、正確で公正な報道に全力を尽くすことを誓う。
ジャーナリズムとしての新聞の役割を強調したうえで、さらに次のような特別決議も採択している。
新聞への軽減税率適用を求める特別決議
新聞は、戸別配達制度により全国どこでも容易に安価に入手でき、生活必需品として、民主主義社会や地域社会の発展に貢献するだけでなく、学校教育を通じ次世代育成にも寄与している。
欧米諸国は、言論の多様性を確保するため「知識に課税せず」との政策のもと、新聞への軽減税率を導入している。
私たちは、今後の社会・文化の発展と読者の負担軽減のため、消費税に軽減税率を導入し、新聞の購読料に適用するよう求める。
◇日本の新聞業界が内包する本当の重大問題は何か?
日本の新聞業界が少なくとも戦後70年の間、故意に避けてきたものは、「押し紙」問題である。この問題は、タブーとして隠してきた。かつて読売は、わたしの「押し紙」報道に対して名誉毀損裁判を起こしたが、その時に争点になったのは、わたしの記事の内容が名誉毀損に該当するか否かであり、肝心の「押し紙」問題そのものが検証されることはなかった。新聞の偽装部数のように公益性が極めて強い問題は、記事そのものが名誉を毀損したか否かという矮小化された視点だけではなく、本質的な問題--「押し紙」そのものについて論争することが肝心なはずだが、裁判所にこうした着眼点はなかった。
「押し紙」とは、新聞販売店に対して実質的に仕入れを強制する新聞のことである。「実質的」と書いたのは、帳簿類の上では、新聞販売店の側が自主的に注文した新聞という構図になっているからだ。
多くの新聞社は定期的に販売店とミーティングを開いて、年間の増紙目標を決める。たとえば新聞2000部(読者が2000人)を配達している販売店に対して、100部の増紙を決める。ところが問題は、実際に100部の増紙に成功するかしないかには関係なく、従来の2000部に100部を上積みして2100部を搬入してくる。
従って増紙できなかった部数は、「押し紙」に化ける。もちろん、この100部についても卸代金が徴収される。
当然、「押し紙」は、新聞販売店の負担になるが、幸か不幸か新聞販売店に割り当てられる折込広告の枚数は、搬入される新聞部数に一致させる原則があるので、折込広告の需要が高い地域では、「押し紙」が負担にならない場合もある。逆に新聞社に支払う新聞の原価を上回ることもある。
こうした構図があるので、販売店は年間目標を作成する際に、過剰な目標部数に対しても、はっきりと「NO」を表明しない場合が多い。それは単に経済的な損得関係を計算した結果だけではなく、それよりもむしろ新聞社の担当員との人間関係を考慮した結果である。担当員の「出世」は、いかに部数を増やしたかにかかっているので、「押し紙」を断りにくい事情があるのだ。
◇「押し紙」による3つの利益
「押し紙」は、客観的に3つの利益を生む。
まず、第1は新聞社の販売収入が増えることである。販売店は実配部数の原価に加えて、「押し紙」部数の原価を新聞社に支払うわけだから、新聞販売による総収入が増える。
第2は新聞社の紙面広告による収入を増やす。紙面広告の媒体価値は、新聞の公称部数に準じる原則があるので、「押し紙」により公称部数が増えれば、紙面広告の媒体価値も増える。
第3は新聞販売店が受け取る折込広告の収入が増えることである。既に述べたように「押し紙」にも、形の上では折込広告が折り込まれるわけだから、それに準じて収入も入ってくる。ただ、この収入の一部は、「押し紙」の代金として新聞社の口座に入る。
日本の新聞社がかかえる最大の問題は、これら一連の「押し紙」問題である。この問題をタブー視してきたのが、日本の新聞業界にほかならない。