1. 【「押し紙」70年②】昭和38年に店主らが「押し紙」をボイコット、公取への告発も

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2015年06月25日 (木曜日)

【「押し紙」70年②】昭和38年に店主らが「押し紙」をボイコット、公取への告発も

時代をさかのぼること半世紀、昭和30年代には、すでに「押し紙」が深刻な問題として浮上していた事実は、日販協(日本新聞販売協会)が発行してきた『日販協月報』にも記録されている。

1963年(昭和38年)11月25日付けの同紙は、日販協の全国理事会が「押し紙」排除を決議したことを伝えている。決議は次の通りである。

 新聞販売業界の安定と向上を阻害するものは「押し紙」「積み紙」である。われわれは「押し紙」「積み紙」を絶滅して明朗公正な取引の姿を実現するため発行本社および販売業者の自覚を強く要請する。

 右決議する。

 昭和三十八年十一月二十七日 

社団法人 日本新聞販売協会全国理事会

■出典:日販協月報PDF

この理事会には、大分県四日市で新聞販売店を経営する柚園要蔵さんという店主が上京して、飛び入りのかたちで理事会に参加している。柚園氏は、翌28日には、公正取引委員会を訪問して、「追起訴の打ち合わせを開始した」という。同氏は、これに先立ち、すでに公正取引委員会へ「押し紙」を告発していたのである。

◆「山梨時事」のボイコット

柚園氏が公取委に「押し紙」を告発した翌月には、山梨県で販売店主らが「押し紙」に抗議して、「山梨時事」の販売をボイコットする事件が起きた。ボイコットに参加した販売店は10店。

ちなみに「山梨時事」は、戦後まもなく創刊された地方紙で、1963年に廃刊に追い込まれた。発行部数は、約5万部。経営が苦しい新聞社ほど、「押し紙」を強要するなどでたらめな政策を徹底する傾向があるのは、昔も今も変わらないが、「山梨時事」はその典型だったようだ。

この事件についても、『日販協月報』(1963年12月25日)が報じている。ボイコットを決行した事情を説明するために、店主らが読者向けに作成したチラシは、「押し紙」の実態について次のように述べている。

 ところが最近、紙数の伸張にのみ狂弄し、理不尽な販売政策を推し進め、売れない新聞を一方的に押しつけ、 店を苦しめてまいりました。売れない新聞を泣く泣く受けて、売れない新聞代金まで払ってきたのです。それは改廃(店が新聞社から一片の通知で首を切られること)を恐ろしいばっかりに歯を食いしばって我慢してきたのです。

半世紀を超える歳月が過ぎても、「押し紙」問題がいっこうに解決しない背景には、やはりそれなりの理由がある。あくまでもわたしの推測になるが、新聞社の経営上の汚点を逆手に取って、新聞の論調をコントロールする戦略が、公権力の間で暗黙の了解になってきたからではないだろうか。

新聞を愚民政策の道具に変質させる意図があるのではないか?

「押し紙」問題を放置して、いくら紙面を批判しても、新聞ジャーナリズムの再生はありえない。