水増しされた折込広告、価格設定に疑惑がある紙面広告、背景に「押し紙」-偽装部数(残紙)問題、報道姿勢にも影響か?
夜空に向かって突っ立ている白いスクリーンに、赤い光を放射している場を遠くから眺めると、赤いスクリーンが闇を遮っているような錯覚を覚える。幻想。あるいは虚像である。
本来、メディアの役割は、幻想を砕き、視界に入るスクリーンの色を正確に伝えることである。が、大半のメディアは、インターネットや週刊誌も含めて、広告主や権力を握る人々と協働して、偽りの像を作り出し、世論操作に手を貸している。
このような現象の典型例が日本ABC協会が定期的に公表する新聞の発行部数-ABC部数に関する「偽りのリアリティー」である。
社会通念からすれば、新聞の発行部数=新聞の実配(売)部数であるが、実際には、ABC部数には、新聞販売店に搬入されるものの、配達先の読者がいない新聞-「押し紙」(残紙)が含まれている。そのためにABC部数は実配部数を反映していないとするのが、新聞業界の内幕を知る人々の共通認識である。
たとえば次に示すのは、「押し紙」問題に取り組んでいる福岡の弁護団が2008年ごろに明らかにしたYC(読売新聞販売店)におけるABC部数と実配部数の乖離(かいり)を示す表である。左から、店名、年月、搬入部数、「押し紙」(残紙)。
YC大牟田明治(07年10月ごろ) 約2400部 約920部
YC大牟田中央(07年10月ごろ) 約2520部 約900部
YC久留米文化センター前
(07年101月) 約2010部 約997部
※読売は「押し紙」の存在を否定しているが、ABC部数と実配(売)部数の乖離(かいり)は否定しようがない。
◇過剰になった折込広告を破棄
ABC部数=実配(売)部数という虚像が定着している状況のもとで浮上するのは、新聞社が国民に対して公称部数を偽っている倫理的な問題だけではない。副次的に次の2つの問題を誘発する。
まず、第一に折込広告に関する不正を引き起こす。新聞に折り込む折込広告の適正枚数は、ABC部数に準じて決める慣行があるので、新聞販売店や広告代理店が自主的に折込広告の受注枚数を減らさない限り、「押し紙」があれば、折込広告も過剰になってしまう。
冒頭の動画は、余った折込広告を梱包した段ボールを、新聞販売店(山陽新聞)の店舗から搬出して、「収集場」へ運ぶ場面を撮影したものである。このような動画は、マスコミに40年在籍しても撮影できないが、掲載した動画は、始めてビデオを手にした素人が60分で撮影したものである。
日本のマスコミの虚像を暴く典型例にほかならない。
なお、折込広告の搬出に使われた段ボールは、山陽新聞の販売会社により提供されていた。「押し紙」裁判の中で、この重大な事実が認定されている。
◇紙面広告とABC部数
公共広告(官庁など役所が広告主になる広告)は、ABC部数の規模に準じて、掲載価格を決める一般原則がある。次に示すのは、2008年度に最高裁が全国の新聞に出稿した広告(裁判員制度のPRが目的)の新聞社別価格である。
読売: 5千73万円(1回目)
4千305万円(2回目))
朝日: 4千27万円(1回目)
3千345万円(2回目)
毎日: 2千814万円(1回目)
2千205万円(2回目)
当時は、俗に「読売1000万部」、朝日「800万部」、毎日「400万部」と言われていた。公共広告の価格も、この序列に準じている。従って「押し紙」がある新聞社は、納税者を欺いていることになる。
◇日本の権力構造の歯車の一部
このように虚像をふりまくことで、新聞業界は利益を得てきたのだが、問題は、物事の実像を暴かない姿勢が、他分野の報道領域にまで影響を及ぼしていることである。
たとえば、従軍慰安慰安婦の制度そのものが無かったとする拡大解釈とウソ、携帯電話のマイクロ波は安全だとする政府見解の幇助、広告主でもある最高裁事務総局に配慮して小沢一郎裁判の虚構を暴かない姿勢、疑わしい世論調査、訴状ビジネスの隠蔽、TPPや原発のPR・・・・・
わたしは少なくとも新聞社は、日本の権力構造の歯車だと考えている。歯車に組み込まれているのは、「押し紙」問題や折込広告の水増し問題など、刑事事件になりかねない重大な汚点があるからだ。