読売が申し立てた「押し紙」裁判の判決文に対する閲覧制限事件②、福岡地裁の「押し紙」裁判判決についても閲覧制限の申し立て
読売新聞を被告とする「押し紙」裁判は、濱中訴訟(1審は大阪地裁)だけではない。5月17日に、福岡地裁(林史高裁判長)が判決を下した「押し紙」訴訟もある。この裁判も販売店の敗訴だった。そしてこの判決に対して、読売新聞が閲覧制限を申し立てている。情報の遮断に走ったのだ。
この裁判の判決については、弁護士ドットコムが報じている。
https://www.bengo4.com/c_18/n_16027/
弁護士ドットコムの報道によると、原告の元店主が請求していた金額は、約1億5000万円である。搬入される新聞の2割から3割が、広義の「押し紙」(残紙)になっていたという。
わたしもこの裁判は取材してきた。判決を読んで最も着目したのは、元店主が注文部数をみずから決めて、それを書面で通知したところ、書面の修正を指示された事実である。店主は、担当員から指示された部数に「注文部数」を修正した。そして、それを再提出した。
社会通念からすれば、担当員が「注文部数」を指示したわけだから、当然、独禁法に抵触する。ところが林裁判長は、修正した書面の数字を公式の「注文部数」とみなし、「押し紙」とは認定しなかったのだ。論理が完全におかしくなっている。
読売新聞はこの判決文についても、濱中訴訟と同様に閲覧制限を申し立てている。従って現段階では、判決文をインターネットで公表することはできない。情報提供というジャーナリズムの役割を果たすことができない。
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大阪地裁の池上尚子裁判長にしても、福岡地裁の林史明裁判長にしても、販売店が書面に書き込んだ部数を「注文部数」と定義している。従ってこの「注文部数」を越えて新聞を提供していなければ、いくら残紙があっても、それは「押し紙」ではないという論理になる。
しかし、「押し紙」は、書面に記された「注文部数」の中に残紙が含まれているからこそ問題になり得るのである。残紙が含まれていなければ、そもそも「押し紙」はクローズアップされない。裁判官は、こんな基本的なことすら理解していないのである。あるいは新聞社を勝訴させるために故意に「注文部数」の定義を捻じ曲げているのだ。
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1964年に改訂された独禁法の新聞特殊指定では、「注文部数」の中に残紙がふくまれている実態を解決するために公正取引委員会は、「注文部数」を「実配部数+(2%の)予備紙」と定義して、それを超える部数は理由の如何を問わず、「押し紙」と定義した。こうして「注文部数」の中に残紙を紛れ込ませる新聞社の販売政策を規制したのである。
この点については、池上裁判長も林裁判長も認めている。いろいろな文献を調べてみても、特殊指定の下での「注文部数」とは、「実配部数+(2%の)予備紙」を意味することを示している。これは、争いのない事実である。
ところが1999年に公正取引委員会が新聞特殊指定が改訂した。この改訂によって、従来の「注文部数」の定義は無効になったというのが、池上裁判長や林裁判長の解釈であるが、果たしてそれは真実なのだろうか。結論を先に言えば、事実ではない。事実であれば、公正取引委員会と新聞協会の間で「密約」があった公算が強くなる。
1999年の改訂により、「注文部数」の定義が変わってないことは、たとえば1999年の改訂当時、新聞再販と特殊指定に関するプロジェクトチームの座長を務めていた滝鼻卓雄氏(読売の)が『新聞経営』に掲載した報告でも明らかになっている。滝鼻氏は、特殊指定について次のように述べている。
新しい新聞特殊指定は、発行社と販売店の取引方法について、一般指定の禁止行為のほか、新聞業の特殊指定に鑑み、発行本社による差別定価の設定と価格の割引、販売店による定価割引の行為をそれぞれ禁止し、あわせていわゆる「押し紙」を
禁止したものである。
この原則は、いままでの特殊指定と何ら変更はない。すなわち旧特殊指定の精神をそのまま新特殊指定のなかに盛り込むことができた。
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現在の「押し紙」問題の最大の争点は、新聞特殊指定でいう「注文部数」、あるいは「注文した部数」の定義である。定義がどのようなものであれ、「注文部数」の中に、残紙が含まれている実態が横行していることは紛れない事実である。しかも、かなり大量の残紙が含まれている。
読売のように、「押し紙」裁判の裁判資料に閲覧制限をかけてしまうと、残紙の実態が分からなくなってしまう可能性が高い。閲覧制限は必要な情報を読者に届けるジャーナリズムの精神にも反するものだ。
※東京地裁の「押し紙」裁判に関しても、今後、調査が必要だ。