1. 「押し紙」を廃止した新聞社、新潟日報のケース

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2022年12月20日 (火曜日)

「押し紙」を廃止した新聞社、新潟日報のケース

中央紙が「押し紙」政策に徹していることは周知の事実になっている。ブロック紙や地方紙もやはり「押し紙」を柱としたビジネスモデルを導入している社が多いが、少数の例外もある。たとえば熊本日日新聞である。同社は、販売店に搬入する予備紙は、搬入部数の1・5%に固定している。その結果、残紙が店舗にあふれる状況はない。

熊本日日新聞の他に、わたしが調査した限りでは、新潟日報も「押し紙」政策を廃止した時期が確認できる。現在も正常な新聞販売政策を実践しているかどうかは不明だが、少なくとも過去に「押し紙」政策を廃止した時期がある。

◆新潟日報

『新潟日報五十年史』によると、1975年ごろから新聞社相互の拡販競争が激化した。この「拡材戦に火をつけたのは読売系であった。昭和54年(1979年)に新潟市小針でセールスマンが絵皿時計を使って購読勧誘したことが発見されたのに始まって、電卓、デジタル置き時計、ヘルスメーター、ビールやしょうちゅうのギフト券のばらまきなど、拡材戦は同市全域に拡大された」。

当時、拡販時の景品使用は禁止されていた。それを中央紙が踏みにじっていたのである。そこで新潟日報は、読者に販売正常化を呼び掛けるチラシを配布した。資金力では中央紙に対抗できないからにほかならない。

こうした流れの中で新潟日報は、「56年(1981年)4月、正常化を厳守して実配部数を堅持する政策を打ち出した」のである。社内には、「押し紙」の排除に反対する意見もあったようだ。これについて社史は次のように述べている。

実配政策、“紙切り”について当時社内には「正常化のお先棒を担ぐ必要はない」とする慎重論、どうにか死守してきたセット10万部の大台割れと減収を気遣う反対論などがもちろんあった。しかし、予備紙の多さは販売店の増紙意欲を減退させており、実配部数主義こそ新しい販売の在り方であるとして、あえて踏み切った。

そして「実配主義を基調とする新しい販売政策は合売店を含む全販売店へ徹底されることとなった」。

■出典:『新潟日報五十年史』