1. 【連載】「押し紙」問題⑩、新聞社経営の汚点とジャーナリズム、「中川先生に恩返しをする機会が近づいております」

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2021年05月13日 (木曜日)

【連載】「押し紙」問題⑩、新聞社経営の汚点とジャーナリズム、「中川先生に恩返しをする機会が近づいております」

新聞のビジネスモデルという場合、狭義には新聞の商取引の仕組みを意味しているが、副次的には、新聞販売制度を支える法律的なルールも含まれる。たとえば新聞に対する再販制度の適用である。また、新聞に対する消費税率の軽減措置制度である。

これらの制度は、新聞社の収益に直接な影響を及ぼしている。しかも、見過ごせないのは、制度の維持が公権力の手に委ねられていることだ。逆説的に言えば、公権力は残紙という汚点だけではなく、再販制度や消費税の制度に着眼することで、新聞を権力構造の中に組み入れているとも言える。さらに付け加えるとすれば、記者クラブの制度も、おなじ脈絡に位置づけられるが、本書の主題から逸脱するので、ここでは言及しない。

いずれにしても日本のジャーナリズムを世論誘導の道具にする制度が、客観的に存在しているのである。この構図は記者としての気概だけでは、切り崩すことができない。

以下、新聞に対する再販制度の適用と、消費税率の軽減措置制度について検証してみよう。残紙問題との関連の中で、再考してみると、ジャーナリズムの障害になっていることが見えてくる。

◆新聞に対する消費税の優遇措置

周知のように現在(2021年5月)の消費税率は10%であるが、新聞については8%である。軽減税率が適用されているからだ。

新聞の消費税は新聞発行本社と販売店が折半して支払う。そしてここからが肝心な点だが、消費税は残紙に対しても課せられるので、新聞社にとっても、販売店にとっても、そのメリットは計り知れない。また、消費増税による新聞の販売価格の上昇を回避できるので、増税に伴う新聞購読者の減少を招くこともない。

消費税率が8%の場合と10%の場合では、負担額にどの程度の違いが生じるのだろうか。2019年12月のABC部数を例にシミュレーションしてみよう。まず、この時点におけるABC部数は次の通りである。

朝日:5,284,173
毎日:2,304,726
読売:7,901,136
日経:2,236,437
産経:1,348,058

新聞の購読料は中央紙の場合、「朝刊・夕刊」のセット版がおおむね4000円で、「朝刊単独」がおおむね3000円である。ABC部数は、両者を区別せずに表示しているので、より価格の安い「朝刊単独」3000円という仮の前提で試算してみる。誇張を避けるための措置である。

税率が8%の場合は次のようになる。月ぎめの消費税額である。

朝日:12億6820万円
毎日: 5億5313万円
読売:18億9627万円
日経:5億3674万円
産経:3億2353万円

税率が10%の場合は次のようになる。これも月ぎめの消費税額である。

朝日:15億8525万円
毎日:6億9142万円
読売:23億7034万円
日経:6億7093万円
産経:4億442万円

8%と10%の違いにより朝日新聞の場合、月間で約3億円の違いが生じる。年間にすると、36億円の違いに広がる。読売新聞の場合、月間で約5億円の違いが生じる。年間にすると、60億円。毎日新聞の場合、月間で約1億4000万円の違いが生じる。年間にすると、16億5000万円の違いになる。
新聞業界が新聞に対して軽減税率を適用させる運動を大々的に展開したゆえんにほかならない。

◆再販制度と新聞特殊指定

政界のさじ加減ひとつで新聞業界が恩恵を受けている制度はほかにもある。それは再販制度である。再販制度は、独禁法の新聞特殊指定の運用を具体化した制度である。

独禁法は、大半の業種に適用される「一般指定」と特定の業種だけに適用される「特殊指定」に分かれる。言葉を替えると、前者では独禁法のオーソドックスな解釈が適用され、後者は特殊な、あるいは例外的な解釈が適用される。

新聞の商取引には、特殊指定が適用される。新聞特殊指定は、「押し紙」の禁止だけではなく、再販制度の適用をも明文化している。

再販制度の下では、直接であろうが、間接であろうが、地域により、あるいは相手により、定価を割り引いて新聞を販売する行為を禁じている。言葉を替えれば、このルールは新聞社が指定した価格で新聞を販売することを命じているのである。普通の商品で、それを行えば独禁法違反であるが、新聞の場合は例外的に認められている。

新聞の商取引には、独禁法の新聞特殊指定が適用されているから、価格を決める権利は新聞社にある。逆説的に言えば、販売店は自分勝手に販売価格を決めることを禁じられている。

さらに新聞業の場合は、新聞特殊指定と連動して別の特権も付与されている。それはテリトリー制と呼ばれるものだ。テリトリー制の下では、販売店の営業区域を定めることが義務付けられている。越境販売は禁止されている。

実際、新聞購読を申し込むさいは、購読申込者が居住している地区ごとに契約する販売店が決まっている。そのことに苦情をいう読者はまずいない。と、いうのも再販制度の下では、どの販売店から新聞を購読しても、価格に違いがないからだ。

再販制度により、新聞社と販売店が得る最大のメリットは、企業の安定した成長である。新聞社相互の拡販競争はあっても、同じ系統の販売店相互の拡販競争は起こり得ないからだ。テリトリー制があるうえに、新聞の価格が全国一律であるから、同じ系統の販売店のあいだでは、自由競争の原理そのものが働かない。その結果、秩序が保たれ、新聞販売網を安定的に維持することが出来るのだ。生存競争が激しいコンビニとは対照的だ。

新聞に再販制度が適用される理由は、建前としては新聞が情報の伝達を目的とした文化的で特殊な商品という点に鑑みて、自由競争には適さないからとされている。新聞に対する軽減税率の適用もまったく同じ理由である。が、あくまでもそれは建前にすぎない。日本の新聞社がかかげてきた部数至上主義から察して、単なる経営上の安定を図るための策略というのが真実だろう。

それだけに優遇措置が却ってメディアコントロールの道具になり、ジャーナリズムの質を落としているとも考え得るのである。

◆国会議員250人がプレスセンターに集合

再販制度は、これまでたびたび廃止の危機にさらされてきた。その背景には、1990年代の半ばから、グローバリゼーションの中で日本の産業界でも構造改革=規制緩和の方向性が生まれ、新聞も普通の商品と同様に自由競争(市場原理)に乗せるべきだとする政策案が浮上してきた事情がある。それに伴って新聞特殊指定を撤廃する動きが顕著になってきたのだ。

事業規模を拡大する野心のある販売店主の中には、このような動きをむしろ歓迎した層もいるが、新聞社は結束して新聞特殊指定の撤廃に反対してきた。その運動の中で新聞業界は、政界との関係を深めていく。はからずも再販制度をめぐる動きを検証してみると、新聞業界と政界の癒着関係が鮮明に輪郭を現してくる。

この点に関しては、わたしの『崩壊する新聞』(花伝社)でも、記述したが特に大事な点なので、再度記述しておこう。

政界と新聞業界の癒着関係が頂点に達したのは、2006年4月19日である。この日の夕方、日本新聞協会が本部を置く東京・内幸町のプレスセンターに、永田町から国会議員たちが次々と駆け付けてきた。総勢250人。しかも、自民党から共産党まで超党派の議員が一堂に会したのである。その光景は、はからずも社民党の福島みずほ党首(当時)の挨拶が的確に描写している。

「そうそうたる国会議員の勢揃いで本会議が移動したような気がする」(『新聞通信』2006年4月24日)

この集会が開かれる半年ほど前に公正取引委員会は、新聞特殊指定を撤廃する方針を打ち出していた。これに対して、新聞業界はなりふりかまわずに反対キャンペーンに乗り出した。紙面を使って再販制度の必要性を訴えたり、集会を開いて自らの主張を宣伝した。

こうした活動にもかかわらず、新聞特殊指定の撤廃はまぬがれないとする見方が有力だった。しかし、わたしは、むしろ撤廃はあり得ないと予測していた。と、いうのも新聞業界と政界の間には、日販協(日本新聞販売協会)を通じて、太いパイプがあることを知っていたからだ。また、公正取引委員会の委員長が内閣総理大臣によって任命される仕組みになっていることからも察せられるように、内閣の意向を無視して、公取委が独自の方針を打ち出すことはまずあり得ない。

わたしは、新聞業界が政治家に対するロビー活動で新聞特殊指定を守ると予測していた。

その理由は簡単で、1990年代に入ってから日本新聞販売協会(日販協)が、自民党の議員を中心に組織されている新聞販売懇話会の議員らに、多額の政治献金を支出してきた事実を知っていたからだ。

当時、日販協は販売店を対象に「1円募金」と呼ばれる政治献金を集めていた。これは販売店への新聞の搬入部数に準じて、新聞1部に付き1円の政治資金を販売店から募る制度である。日本の新聞発行部数は莫大なので、ひと口が1円とはいえ多額の資金を集めることができる。

日販協の会員は、1984年8月30日付けの『日販協月報』によると、7868人である。これは販売店主の人数でもあるから、少なくとも7868店が「1円募金」の対象になったことを意味する。1店から3000円の「1円献金」を徴収したとすれば、1回「1円募金」をやるだけで、約2360万円を集めていた計算になる。 日販協は、豊かな資金力をバックに政界とのパイプを固めたのである。

1993年5月の『日販協月報』には、次のような見出しが掲げられている。政界との露骨な関係を日販協がみずから公開したのである。

自民新聞販売懇と日販協 協力体制強化へ布石 応分の負担を承知 事業税軽減等 全販売店に恩恵

政界へ政治献金を提供する体制を構築したことを、みずから認めているのである。この記事の中で、1円募金へも言及して次のように述べている。

衆院の任期は来年2月なので、いずれ解散総選挙が行われる。懇話会の先生方には普段なんにもお礼をしていないので、選挙の折には恩返しをするのが業界としての礼儀だと思う。(略)

今日の運営会議の席で、ここきちっとやっておかなければ、事業税問題、再販問題などで先生方の協力が得られなくなる。出来る範囲でお手伝いするため、皆さんの協力を得て1円募金をお願いしようとの意見が運営会議の大勢であった。

事業税問題というのは、当時、撤廃の方向性が打ち出されていた事業税の軽減措置をめぐる案件のことである。ロビー活動の効果があったらしく、結局、1998年まで軽減措置は延長された。再販問題というのは、既に述べたように公正取引委員会による新聞特殊指定の撤廃に関する案件のことである。

さらに日販協は、中川秀直議員に対して、「恩返しをする機会が近づいております」と深い感謝の念まで表明している。日販協会長の発言である。

中川先生に自民党新聞販売懇話会をつくっていただき、同時に代表幹事として奔走いただいたおかげで我々の希望や願いがようやく聞き届けられるようになったわけです。現在、業界は多くの難題を抱えております。最近では我々の納得できない行政の介入も目立ちます。販売店の立場を中川先生を通じて国家や社会にご理解いただけたらと念願します。事業税の特例措置は、手数料の増額や本社の補助金ではまかない切れない程の恩恵を全国の販売店にもたらしておりますが、これも中川先生のお力によるものと言っても過言ではありません。その中川先生に恩返しをする機会が近づいております。

◆新聞業界からの政治献金

その後、1996年に日販協は政治連盟を設立して、ますます政界とのかかわりを揺るぎないものにする。政治連盟を設立することになった経緯について、当時の日販協会長は、『日版協会月報』(1995年11月)で次のように述べている。

これまで税制など諸問題で、新聞販売懇話会の先生方にお願いしてきた。これらの議員の懇談会やパーティ券の購入などの費用は、1円募金や特別対策委員会の予算から支出してきた。しかし、通産省から『公益法人は、政治資金を支出してはいけない』と指摘された。政治資金の収支をきちんとした形にしたい。

先生方はパーティの収入で政治資金を賄っているのが最近の傾向。毎月、何件かパーティ券購入の協力依頼がくるが、日頃、お世話になっている先生でお断りするわけにはいかない。そういう関係で、収支報告がきちんとできるような形で明瞭にやったほうがいいので政治連盟を設立したい。

政治連盟を設立すると、政治資金収支報告書の提出が義務づけられる。日販協政治連盟も、総務省へ政治資金収支報告書を提出するようになった。それによると同政治連盟は、現在も国会議員への政治献金を続けている。

こうした経緯があるので、わたしは新聞特殊指定を守るために、新聞業界がますます政界へ接近すると考えていた。

◆◆
実際、わたしが予想した通りになった。新聞販売懇話会の議員らが、新聞特殊指定を守るために動き始めたのだ。そして前述したように、プレスセンターで250人の国会議員と新聞人が大集会を開いたのである。

新聞業界を支援する政治家の運動の中心になったのは、高市早苗議員、山本一太議員、さらに日経新聞の元記者の中川秀直議員らだった。いずれも自民党の議員である。

これらの議員は2006年5月19日、新聞特殊指定を守るために、独禁法の改正案を自民党の経済産業部会に提出した。改正案は次の2項目である。条文を紹介したうえで、中身を解説しよう。

①公取委が特殊指定を変更・廃止する場合でも、公聴会の開催などを義務付ける。

②新聞特殊指定の規定を2条9項の別表とし、独禁法本法に明記する。

①は一種の手続き論であるから、公正取引委員会にとって大きな障害とはならない。公正取引委員会にとって、致命的な条文は②である。「新聞特殊指定の規定を」「独禁法本法に明記する」とは、独禁法を運用する権限を公正取引委員会から奪って、国会に移すことを意味している。すなわち新聞特殊指定に関する決定は、国会での採択を必要とする法制体系に変更するということなのである。それは新聞特殊指定の殺生権を国会へ移すことを意味している。

法律を変えてでも、新聞業界の権益を守るという強い意思表明が政界サイドから示されたのだ。これに対して公正取引委員会は打つ手がなかった。もっとも最初からこのようなシナリオがあった可能性もあるが。

実際、公正取引委員会の竹島一彦委員長は、新聞特殊指定の撤廃を断念した。断念しなければ、独禁法の改正案が成立して、公正取引委員会の権限を制限されてしまうので、他に選択肢がなかったようだ。

こうして新聞業界と公正取引委員会の対決は決着が着いた。その後に開かれた日販協の通常総会には、『新聞通信』の報道によると、高市議員や山本一太議員らが来賓として参加し、活動の成果を報告した。高市議員は次のように述べた。

「独禁法の改正案として二本作りましたが、最終的には法制局の審査を両方とも通った。状況がいい方(特殊指定)に変わり、今は日販協側に法律案そのものを渡してあります。今後何か起きたら、その時はいつでも提出できる安全パイを持てたことは良かった。(略)」

山本議員は、新聞特殊指定を廃止する動きが再浮上した場合の対策について、次のように述べた。

「その時は高市座長が作った法案をいつでも出せる状況にしてあります。(特殊指定問題が)出てきた時には、議員立法で金輪際始末をつけることになる」

1990年代には、新聞特殊指定の撤廃は時間の問題とする見方が有力だったが、現在の時点(2020年7月)でも、従来のままだ。日販協を通じた政治献金も延々と続いている。

◆◆
公権力は、いつでも新聞社経営に介入できる。消費税の優遇措置を廃止することもできれば、独禁法の新聞特殊指定を撤廃することもできる。これらの法律が撤廃されれば、消費税が重い負担としてのしかかってきたり、戸別配達制度そのものが危機に立たされる。新聞のビジネスモデルそのものが成り立たなくなってしまうのである。

逆説的に言えば、このような構図があるから新聞人は、公権力と距離を置くよりも、むしろ一体化する道を選んだのかも知れない。権力構造の歯車になったのではないか。それによって新聞社は経済上の高い利益を得ることができるし、公権力から「特ダネ」を得ることもできる。

しかも、一旦、このようなスパイラルにはまってしまうと、そこから抜けられない。新聞社経営が苦しくなればなるほど、新聞人は優遇措置を求めて公権力への依存度を増していく。たとえば、新聞ばなれが急激に進む中で、新聞社は生き残りをかけて、文部科学省を巻き込んだ戦略を展開している。NIE(教育の中に新聞を)運動を展開して、2020年度からはじまった新しい学習指導要領に、新聞を学校教育の教材として取り扱う方向性を明文化させることに成功した。

新学習指導要領は、小学校から高校まで、新聞を読むことの重要性を強調している。たとえば小学校5年生の社会科で身に着ける知識として新学習指導要領は、「放送、新聞などの産業は、国民生活に大きな影響を及ぼしていることを理解すること」や、「聞き取り調査をしたり映像や新聞などの各種資料を調べたりして、まとめること」を義務付けている。

中学校の学習指導要領になると、新聞・テレビを偏重する傾向は一段と露骨になる。「社会生活の中から話題を決めるときは、地域社会の中で見聞きしたことや、テレビや新聞などの様々な媒体を通じて伝えられることなどの中から話題をきめる」とか、なにか行事があるときは「新聞やテレビなどから得られた資料を紹介するなどして生徒の関心を呼び起こし、地域で行われる活動に生徒が参画したり、教室に招いて専門家の話を聞いたりするなどの学習活動が考えられる」などと明記している。

さらに高校になると、「日常的な話題について、新聞記事や広告などから必要な情報を読み取り、文章の展開や書き手の意図を把握する」と述べるなど、新聞を手本にして作文の技術を習得させることまで明文化しているのだ。はたして慣用句を散りばめた新聞の文章が日本語の書き言葉として最高水準なのか、はなはだ疑問があるが、そんなことはおかまいなしに新聞関係者は新学習指導要領に新聞・テレビの重要性を明記させたのである。見方によっては、これは新聞社の新聞販売政策の一端とも思える。

このように新聞業界と政界の癒着は露骨になっているのである。それにつれて紙面からジャーナリズム性は薄れていく。故意に報道されない情報が増えていく。

新聞社経営に連動した客観的な汚点と構図を打破しない限り、日本の新聞ジャーナリズムの再生はあり得ないのである。