野村武範裁判長が執筆した判決文にみる論理の破綻、「押し紙」は認定するが賠償は認めない、産経新聞「押し紙」裁判の解説、判決全文を公開
筆者は、産経新聞「押し紙」裁判の判決(東京地裁、野村武範裁判長)を入手した。本稿では、判決内容を紹介しよう。また、判決文の全文を公開する。
既報したように、この裁判で東京地裁の野村裁判長は、「押し紙」による損害賠償を求めた原告(元販売店主)の請求を棄却した。筆者がこの判決を読んだ限りでは、野村裁判長が原告を敗訴させることを最初から決めていたことを伺わせる内容になっている。判決文の論理に極端な破綻がみうけられるからだ。
この倫理の破綻を捉えるためには、あらかじめ文書類における達意とは何かを理解しておかなければならない。それは単純な原理だ。
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改めていうまでもなく、判決文で最も重要なのは、誤解なく意味を伝達することである。判決全体を構成するセンテンスのひとつひとつに文法上の誤りや論理の論理の破綻がないことは言うまでもなく、同時に判決全体を通じて論理の破綻がないことも要求される。
この点を前提として判決を解説してみよう。この判決は、ある一時期においては産経による「押し紙」行為があったが、それによって生じた損害を賠償する必要はないという矛盾した論理構成になっている。
①文脈にみる論理の破綻
「押し紙」行為は独禁法違反なので、加害者は被害者に対する賠償責任を負わなければならない。ところがこの判決文ではそうはなっていない。たとえば、次の一文である。読者は、どこに論理の破綻(ごまかし)があるかに注意をはらいながら読んでほしい。
平成28年1月から5月までの期間に関しては、被告(産経)による減紙要求の拒絶がいわゆる押し紙に当たり得るとしても、原告が実際に被った負担は極めて限定的であり、原被告間で営業所の引継ぎに関する協議をする中で原告が顧客名簿の開示に応じないなどの対応をしていたとの交渉経緯があったことに照らすと、この間の本件各契約を無効とするまでの違法性があるとはいえない。
まず、この箇所で野村裁判長は、産経新聞が「押し紙」により元店主に損害を与えた事実を認定している。ところが、それを免責する理由として、「原被告間で営業所の引継ぎに関する協議をする中で、原告が顧客名簿の開示に応じないなどの対応をしていたとの交渉経緯があったこと」と述べて、賠償責任を帳消にしているのだ。
しかし、産経新聞が「押し紙」による損害を与えた事実(独禁法違反)と、それを免責する理由との間には何の整合性もない。整合性のない2つの事実を、野村裁判長は無理矢理に結びつけているのである。その結果、論理が破綻して、冷静に読めば、訳が分からない記述になっているのだ。
判決文を精読しない読者は、この箇所に注意を払うことなく、なんとなく納得してしまう危険性がある。ひとつひとつの言葉を正確に読み解いてみると、論理が破綻していることが判明する。
②判決文全体の論理の破綻
野村裁判長は、原告の元店主が訴えていた「押し紙」の被害を3期に分類して検証している。
・第1期 開業時(平成24年の開業時)
・第2期 開業から(~平成25年10月)
・第3期 廃業前(平成28年1月~7月)
野村裁判長は、全時期を通じて、原告の販売店に残紙があったことは認めている。残紙の量は、次の通りである。
しかし、第1期と第2期については、原告の元店主が、残紙を断ったことを示す証拠がないことを理由に、産経の賠償責任を免責した。伝統的な「押し紙」の判例に沿った判断を下したのである。
これに対して第3期については、明確に「押し紙」行為を認定している。たとえば次の記述である。
原告の代理人弁護士は、平成28年1月15日付け書面において、被告の代理人弁護士に対し、被告が取引開始当初の960部から600部程度までの減紙に応じた際及び155部の減紙の申入れに応じた際には、このような開示(註:読者名簿の開示など)や説明は求められていないことから、前期イ(註:読者名簿の開示など)のような条件を付することなく減紙要求に応じることを求めた。しかし、被告(註:産経新聞)は減紙に応じなかった。(乙7号)
野村裁判長は、「押し紙」行為そのものは認定したのである。ところが既に述べたように、「原被告間で営業所の引継ぎに関する協議をする中で、原告が顧客名簿の開示に応じないなどの対応をしていたとの交渉経緯があったこと」を理由に、産経新聞の賠償責任を免責したのである。繰り返しになるが、「押し紙」行為の成立と、読者名簿の非開示など、元店主が説明に応じなかったことは論理上では何の関係もない。
このように判決文は、一方では「押し紙」を認定して、その一方では、いろいろと理由を設けて賠償を認めない方向性を定めるという矛盾した論理構成になっているのである。
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なお、以下は筆者の見解になるが、この裁判においては、「押し紙」の定義が間違っている。新聞社が販売店に対して買い取りを強制した部数が「押し紙」という前提になっているが、これは正確ではない。
「実配部数(実際に配達する部数)+予備紙」を超える部数は、理由のいかんを問わずすべて「押し紙」というのが、独禁法の新聞特殊指定に忠実な定義なのである。
元々、新聞業界には、搬入部数の2%を予備紙として認め、それを超える残紙は「押し紙」とする業界内のルールがあった。ところが新聞業界は、この「2%ルール」を廃止した。その結果、残紙はすべて予備紙という詭弁がまかり通ってきたのである。たとえ残紙があっても、それはすべて予備紙であって、「押し紙」ではないということになっていたのである。この解釈が、産経の「押し紙」裁判でも採用されている。
しかし、佐賀新聞の押し紙」裁判の判決(2020年)で佐賀地裁は、販売店経営に必要としない残紙は、予備紙とは言えないとする判断を下した。この判例の観点からすれば、産経「押し紙」裁判で確認された残紙は、すべて「押し紙」なのである。
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以上の点を確認した上で、野村裁判長が認定した第1期と第2期の残紙は、本当に予備紙だったのかを再検討してみる必要がある。
言うまでなく、予備紙とは、配達する新聞が破損した場合に備えて、販売店があらかじめ購入しておく予備部数である。しかし、原告の店主の店舗からは、古紙回収業者により大量の残紙が回収されていたわけだから、予備紙としての実態はなかったことになる。と、すればこれらの残紙は、「実配部数(実際に配達する部数)+予備紙」を超えた残紙、つまり「押し紙」なのである。
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なお、野村裁判長は、「折り込み詐欺」について、折込広告の取引に産経新聞は関与していないから、公序良俗には違反しないと判断している。筆者は、残紙による損害を折込広告で相殺するビジネスモデルそのものが公序良俗に違反すると考える。そのビジネスモデルを構築したのは、新聞社にほかならない。
このような取引の仕組みが公序良俗に違反するかどうかを「イエス」か、「ノウ」で問われれば、99%の人が、「イエス」と答えるだろう。
社会通念とはそのようなものなのである。