風化せぬ読売・真村事件、ひとりの販売店主を14年間も法廷に立たせた事実をどう評価するのか
読売新聞の販売政策が争点となった真村裁判が始まったのが、2002年だから、今年で14年になる。裁判は先日、ようやく終わった。この事件には、読売から3件の裁判を起こされたわたしを含めて、さまざまな人々が登場する。
読売側の弁護団も、初期とは完全に入れ替わった。途中からは、喜田村洋一自由人権協会・代表理事も東京から福岡へかけつけ、読売のために働くようになった。
読売は、弱小のYC広川を経営する真村氏を相手に必死の戦いを繰り広げたのである。
10月2日、「新聞の偽装部数『押し紙』を考える」と題する集いが、東京板橋区の板橋文化開会で開かれ、真村弁護士団の江上武幸弁護士が真村事件について講演した。
◇真村事件とは
事件の発端は、読売が真村氏にYC広川の営業区域の一部を返上するように求めたことである。その背景に筑後地区の“大物店主”S氏の存在があった。S氏の弟がYC広川の隣接区にあるYCを経営しており、YC広川の営業地区を縮小する一方で、それを隣接店に組み込むというのが読売の方針だった。
久留米市など筑後地区にある他のYCでも、S氏がかかわった類似事件が続いて発生し、真村氏ら3人の販売店主が、地位保全の裁判を起こした。これが俗にいう真村裁判である。3人の原告のうちひとりは、既にYCの経営権を剥奪されていたので、和解解決した。他のひとりのケースは、あまり争点にはならなかった。中心的な争点になったのは、真村氏の事件だった。
結果は地裁から最高裁まで真村氏の勝訴だった。2007年12月に真村氏の販売店主としての地位は保全されたのだ。真村氏の勝訴に刺激されて、新たに3人のYC経営者が、江上弁護士に「押し紙」(広義の残紙)問題を相談した。2007年の秋のことだった。これら3店主が経営するYCには、約40%から50%の「押し紙」(残紙)があった。
◇喜田村弁護士に対する弁護士懲戒請求
こうした状況の下、真村事件を取材していたわたしに対する裁判攻勢が始まった。喜田村洋一自由人権協会・代表理事を代理人として、2008年2月から2009年7月までの約1年半の間に3件の裁判を起こしたのである。請求額は、約8000万円。
このうち最初の著作権裁判では、読売側が、虚偽の事実(催告書の名義人の偽り)をでっちあげ、それを根拠に提訴に及んだ強い可能性が司法認定され敗訴した。もともと提訴する権利がなかったのだ。前代未聞のケースだ。
そこで喜田村弁護士に対して、弁護士懲戒請求を行ったが、2年にわたる審理の末、日弁連は、喜田村弁護士に対する処分を行わない決定を下した。つまりでっち上げ裁判が許されるということになる。この事件と日弁連の判断が再検証を要することは言うまでもない。
2件目の裁判は、地裁、高裁はわたしの勝訴。最高裁が口頭弁論を開いて、判決を高裁に差し戻し、わたしの敗訴となった。わたしに110万円の支払いを命じた判決を下した加藤新太朗裁判官は、退官後、アンダーソン・毛利・友常法律事務所に再就職(広義の天下り)している。
3件目はわたしの完全敗訴だった。この裁判で喜田村弁護士らは、自社(読売)に「押し紙」は1部も存在しないと主張し、裁判所もそれを認めた。
◇第2次真村裁判
一方、真村氏は最高裁で判決が確定した7ヶ月後に、YC広川を改廃された。
そこで再び地位保全の裁判を起こさざるを得なくなった。
第2次裁判の結果は次の通りである。舞台は福岡地裁である。
1、仮処分 真村勝訴
2、仮処分(異議審) 真村勝訴
3、仮処分(抗告?高裁) 真村勝訴
4、仮処分(特別抗告) 真村勝訴
1、地裁本訴 読売勝訴
2、高裁本訴 読売勝訴
3、最高裁 読売勝訴
このうち仮処分の異議審で真村さんを勝訴させたのは、木村元昭裁判官だった。仮処分としては、異例の25ページにも及ぶ判決文で、読売の主張を退けたのである。
さらに真村氏の後任者としてすでに販売店経営に着手している店主とも話し合って、真村氏に営業権を移譲するように命じている。
木村裁判官は、この判決を下した2週間後の2月1日に那覇地裁へ所長として赴任した。
その後、真村さんは仮処分裁判を勝ち進む。ところが抗告(高裁)で勝訴した数日後に本訴(地裁)判決があり、意外にも敗訴した。
そこで真村さんは高裁へ控訴した。控訴審が始まって間もなくすると、裁判官の交代があった。1年半前に仮処分裁判(異議審)で、真村氏を勝訴させた木村元昭裁判官が、那覇から福岡へ戻り、真村裁判を担当することになったのである。
そして真村氏を敗訴させたのだ。仮処分では真村氏を勝訴させ、経営権を取り戻せるように、後任店主との話し合いを勧めていた同じ裁判官が、今度は180度異なった判決を下したのである。
この件は最高裁事務総局による「報告事件」の疑惑があり、今後、情報公開などを通じて、調査する必要がある。
真村氏が敗訴した理由は、さまざまだが、その中のひとつに、わたしに対して真村氏が情報提供を行ったというものがある。メディア企業・読売がこうした主張をしたこと自体が議論の的になる。読売の記者は、この件をどう考えるのだろうか。
◇自宅の仮差し押さえ
第一次、真村裁判の判決が最高裁で確定したころ、「押し紙」について江上弁護士に相談した3人の販売店主のうち、2人は読売側に寝返った。もう1人は、販売店を強制改廃され、地位保全の裁判を起こしたが、地裁、高裁と敗訴。その後、病死された。
真村氏は、第2次真村裁判の仮処分申し立てで、勝訴していたが、読売が新聞の供給を再開しなかったので、1日に3万円の間接強制金(累積で約3600万円)を受けていた。ところが本訴で敗訴したので、読売は真村氏に対して間接強制金の返済を求める裁判を起こした。自宅も仮差し押さえした。
これら一連のプロセスにも、自由人権協会の喜田村洋一代表理事がかかわった。
裁判の開始から終結まで14年。ひとりの販売店店主を14年もの間、法廷に縛りつけたこと自体が、重大な人権問題である。
真村裁判の検証はこれから始まる。真村事件は、記録として歴史の壁に刻まれていく。