2014年05月13日 (火曜日)
安倍首相の「押し紙」発言、新聞が世論誘導の道具と化した背景に経営上の汚点
マスコミによる世論誘導が露骨になっている。こうした状況下で、メディアリテラシーを意識しながら、マスコミ報道に接しているひとの多くが、わたしと同じ危惧を感じているのではないだろうか。世論誘導は、常に国民が気づかないうちに進行しているものだ。それゆえに危険きわまりない。
たとえば9日付けの読売と毎日は、2040年に若年女性の人口が半減するという予測を報じた。タイトルは次のようになっている。
〔毎日〕896自治体消滅の恐れ 若年女性2040年半減 有識者団体「子育て支援を」
〔読売〕896自治体 若年女性半減 2040年推計 東京集中に警鐘 有識者会議
同じ内容なので、同じ情報源をもとに記事化したものと推測される。記者クラブで得た「たれ流し用」の情報の可能性もある。
それから2日後、田村憲久厚生労働相が年金の支給開始年齢を75歳程度まで繰り下げる可能性をほのめかした。これについて毎日新聞は、次のように報道している。
田村憲久厚生労働相は11日のNHKの番組で、基礎年金の受給開始年齢を受給者の判断で最長70歳まで繰り下げて手取り額を増やせる現行制度について「選択の幅をのばすのは一つの方向性としてはある」と述べ、75歳程度までの繰り下げを選択できるようにすることを検討する考えを示した。 ? ?
直感の鋭い読者は推測できると思うが、人口減に伴い1人の若者が1人の高齢者を支える「肩車型社会」が到来することを報じた直後に、国策として年金の支給年齢の繰り下げを行う必要性を提起すれば、「それも止むをえない」と考える世論が形成される。
ちなみに人口減は事実である。が、その事と将来の財源不足は問題の本質が異なる。と、いうのも政府は、財政難を口にしながら、どんどん法人税を安くしているからだ。新自由主義の政策そのものが、財政支出を縮小して「小さな政府」を作り、大企業の負担を軽減することにあるわけだから、財源不足になるのはあたりまえである。
それゆえに財政難の問題は、むしろ新自由主義という国策が誤っている結果、生じるのである。それを打開するために、公共サービスの民営化が進んでいるわけだが、このような制度下では、お金のない人は、切り捨てられてしまう。 公的機関による福祉の概念も消えてしまう。
◇東シナ海
中国による南シナ海進出のニュースの露出と、安倍内閣による改憲へ向けた動きも連動している。中国船がベトナム船に体当たりした事件と、安倍内閣が憲法解釈見直しによる集団的自衛権行使論を活発化させた時期も一致している。
中国船がベトナム船に体当たりした事が事実であるにせよ、南シナ海での領有権争いは、はるか以前からあった。しかし、今回のケースほど繰り返し報じられたことはなかったのではないか。何度も衝突の画像が流された。
その一方で政府は、解釈憲法の議論に踏み出した。これもメディアによる世論誘導にほかならない。
◇安倍首相と「押し紙」問題
なぜ、マスコミは国策に協力するのだろうか。新聞・テレビに限って言えばそれは、経営上の汚点を握られているからだ。汚点の典型例のひとつが広義の「押し紙」問題である。「押し紙」とは新聞の偽装部数だ。あるいは残紙。
たとえばAという新聞販売店が2000部しか新聞を配達していないのに、3000部を公称部数にする。それにより紙面広告の媒体価格を釣り上げる。
また、折込広告の適正枚数が新聞の公称部数に連動する基本原理を悪用して、広告主に対して詐欺的に、必要枚数を超えた折込広告を発注させる。次の動画は、過剰になったユニクロのチラシが段ボールに梱包されて、大量破棄される 場面である。
このような行為の取締は、警察や公取委が担うので、新聞社とその系列テレビ局は、国策のPR部隊とならざるを得ない。メスを入れられると、新聞社は倒産する。
驚くべきことに、安倍首相も「押し紙」問題を把握している。次のPDFは、2006年3月24日の参議院予算員会で安倍晋三国務大臣(当時)が、「押し問題」について述べた部分である。
安倍首相は、少なくとも8年前から「押し紙」問題を熟知している。が、これにメスを入れる様子はない。メスを入れるよりも、新聞社の決定的な汚点を握り、新聞社を政府の「広報部」として、権力構造に組み込む方が得策であるからだ。