1. 魚の大量死、日本のメディア、バッシングを恐れて自らを口封じ

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2023年12月30日 (土曜日)

魚の大量死、日本のメディア、バッシングを恐れて自らを口封じ

メディアによる報道自粛が指摘され始めて久しい。少なくとも30年ぐらい前からこの問題が浮上している。沈黙を美徳とする価値観。これにより国民がジャーナリズムによる恩恵を受けられなくなっている。

このところ大量の死魚が海岸に打ち上げられる珍現象が相次いている。2023年の12月だけでも、三重県と北海道で大量の魚が海岸に打ち上げられた。海外メディアの中にはロシアのRTのように、その原因のひとつの「可能性」として福島の汚染水を指摘した報道もあった。イギリスの大衆紙もやはり同じ方向性でこれを報じた。

これに対して日本の外務省は、関係メディアに抗議した。

【引用】北海道函館市の海岸にイワシなどが大量に打ち上げられた映像を、イギリスのメディアが福島第一原発の処理水放出と関連があるかのように報じているとして、外務省は「誤解を生じさせる発信は遺憾だ」として、訂正するよう申し入れました。(NHK)

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しかし、現時点では原因が特定されたわけではない。従って福島の原発汚染水と何らかの関係がある可能性まで否定できない。原因が分からない場合は、予防原則の観点から検証するのが常識なのだが。

まして、短期間のうちに日本だけで同じタイプの大量死が相次いているのである。海外でも大量死が報告された例はあるが、短期間のうちに同じ現象が繰り返されたケースは、わたしが調べた限りでは見当たらなかった。となれば日本で起きた現象の背景に何か特殊な事情、海外の事例を識別する何かがあると推測するのが自然だ。

汚染水が直接の原因ではないにしても、汚染水が原因で生態系が異変をきたし、魚の習性を「誤作動」させたのかも知れない。汚染水の汚染度が総務省の規制値をクリアーしているから、安全とは断言できない。原発汚染水の性質は、また研究途上で正確に解明されていないからだ。化学物質や電磁波には、「閾値」がないというのが科学の常識である。

【閾値】閾値とは、ある値が所定の水準を超えると特定の変化が生じたり判定・区別が変わったりする、という場合の「所定の水準」「数値的な境目」「境界線となる値」を意味する語である。(Weblio)

科学的な根拠に乏しいから、「安全」という政府の見解は論理の飛躍である。汚染水の海洋投棄の後に、日本の海域に限って魚の大量死が相次いでいる事実の方が優先されるべきなのである。

バッシングを恐れて自らを口封じするのは、メディアの自殺行為にほかならない。

※3カ月ほどメディア黒書を更新しなかったこともあって、「病気」ですかという問い合わせが何件かありました。日本を離れていたのが原因です。今後、更新を再開します。