1. 『紙の爆弾』が森裕子に対する刑事告発を報道、告発者の手記を掲載

「森裕子VS志岐武彦」の裁判に関連する記事

2016年11月07日 (月曜日)

『紙の爆弾』が森裕子に対する刑事告発を報道、告発者の手記を掲載

本日(7日)発売の『紙の爆弾』が、「私が森裕子議員の詐欺疑惑を刑事告発した理由」と題するわたし(黒薮)の手記を掲載している。これは還付金制度を悪用して、「税金」を自分のポケットに入れた森氏の手口を告発したものである。告発はわたしとA氏の2人で行った。主導したのは、むしろA氏であるが、それは重要な点ではない。

新潟地方検察庁は、この告発状を10月3日に受理し、捜査に入った。

読者は還付金制度についてご存じだろうか。還付金制度というのは、有権者が政党支部へ、政治献金を行った場合、税務署で手続きをすれば、寄付した金額の30%をバックしてもらえる制度である。

たとえば100万円を○○党の政党支部に寄付して、還付金制度を利用すれば、30%にあたる30万円が戻ってくる。

森氏は、自分で自分の政党支部へ自分のお金を寄付し、その後、税務署で所定の手続きを踏んで還付金を受けていたのである。寄付したのは自分のお金だから、このお金の全額を政党支部で使える上に、還付金として、寄付額の30%も自分のものにしていたのだ。

還付金制度は租税特別措置法の41条18・1で定められているが、例外として、「その寄付をした者に特別の利益が及ぶと認められたものを除く」と定められている。つまり森氏がやったことは違法行為である。

森氏はこのような行為を単年ではなく、何年も繰り返していたのである。

◇小沢一郎氏の軌跡

森氏は、小沢一郎氏に近い政治家のようだが、筆者は、その小沢氏に対して重大な疑念を抱いている。政治家として重大な過ちを犯したというのがわたしの認識だ。一時期、多くのフリーライターが、小沢氏を崇拝して、食事会などを開いていたが、わたしには、全くわけがわからなかった。

小沢氏の軌跡については、政治学者の渡辺治氏の一連の著書に詳しいが、それを基に、同氏の軌跡をたどってみよう。混迷した現在日本を作った張本人と言っても過言ではない。

発端は、1993年の「政変」である。新自由主義=構造改革の早期導入を叫ぶ小沢氏らは、自民党を飛び出して、新進党を結成した。財界もこれを支援した。と、いうよりも財界の要請だった。

当時の自民党は、基本的に新自由主義=構造改革を政策とした政党ではなく、利益誘導型の政策を柱とする政党だった。しかし、利益誘導型の政治では、自民党の支持基盤である地方や中小企業に金をばらまく必要がある。その結果、財界が税の負担を強いられる。グローバルゼーションの下で、国際競争力を付けたい財界としては、自民党政治は容認できないものになってきたのである。

財界が小沢氏らを担ぎ出して、小さな政府「新自由主義=構造改革」の導入を進めようとしたゆえんにほかならない。

小沢氏らの動きに焦った自民党は、社会党と共闘して政権を取り戻した。そして村山内閣の後、橋下内閣の時代に、小沢氏らを後追いするかたちで、本格的に「新自由主義=構造改革」へと舵を切ったのである。

ところが「新自由主義=構造改革」の方向性は、それまでの自民党の支持基盤の反発を買った。橋本内閣は、国政選挙で大敗して、自民党は再び利益誘導型の方向へ軌道修正した。利益誘導派の小渕内閣が誕生して、「新自由主義=構造改革」の導入は、ペンディングとなったのである。

小渕氏は急死。その次に登場した森内閣に至っては、さらに、「新自由主義=構造改革」を足踏みさせ、財界からもマスコミからも総バッシングを受けた。
マスコミは、森氏を無能な人間として描き出したのである。メディア史に残るプロパガンダが展開されたのだ。

そこに彗星のように登場して、ドラスチックな「新自由主義=構造改革」を導入したのが、小泉純一郎氏である。「新自由主義=構造改革」の弊害も他人の痛みも想像できない無謀な男だったからこそ、一気に「改革」を進めることができたのだ。

結果、格差が広がり、非正規社員が急増する。ここから日本の悪夢が始まったのだ。

改めていうまでもなく、「小泉改革」の象徴が、郵政民営化である。

「新自由主義=構造改革」の導入を進めるために、導入されたのが、小選挙区制による2大政党制だった。「新自由主義=構造改革」の導入を、2大政党が競い合う構図が確立されたのである。この小選挙区制を導入したのも、小沢一郎氏である。

小沢氏の著書『日本改造計画』には、冒頭から自己責任論を展開している。政治家としても、最低の人間というのが、わたしの評価だ。

小沢検察審査会の問題でも、捏造報告書を外部へ流出させた疑惑があることは、メディア黒書でも報じてきた通りである。

ジャーナリズムはもっと小沢氏の責任を追及すべきだろう。