経営陣は権力監視の緊張感を保て、部数大幅減での朝日株主総会
◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者、秘密保護法違憲訴訟原告)
部数減に歯止めがかからないまま6月24日、大阪・中之島のホテルで朝日新聞社の株主総会が開かれた。朝日批判の急先鋒である「週刊文春」のスクープばかりが目立つなか、「ジャーナリズムの使命は権力監視」を標榜する朝日に意地はないのか。
だが、総会に出席してみて、経営陣の危機感の乏しさ、とりわけ「対権力」への緊張感の欠如に失望するしかなかったのだ。
朝日は2014年8月の従軍慰安婦報道の検証記事以降、部数を大幅に減らしている。日本ABC協会調査では同年6月に740万部があったのが、社長謝罪会見後の10月に700万部と40万部急減。今年4月には660万部となっている。
「1000万部」の発行部数を誇って来たライバルの読売も、4月部数は900万部を僅かに切るまでに減っている。しかし、やはり朝日の部数減が目立っている。
その影響は広告費にも及んで、今期の朝日決算は総営業収入の2748億円で、前期比138億円減。しかし、社員の給与改革などの経費削減で営業利益は78億円、前期比40億円増を確保した。「減収」ながら「増益」決算を渡辺雅隆社長は誇らしげに報告した。
◇「朝日に押し紙はない」
しかし、渡辺社長は今年3月、公正取引委員会から朝日が「注意」を受けたことを株主に合わせて報告せざるを得なかった。週刊誌などで「販売店が『注文部数を減らしたい』と申し入れたところ、朝日の販売担当社員が再考を促し、その際、行き過ぎた言動があった」として、取り上げられている問題だ。
新聞の販売部数は広告費に直結する。広告費を主要な収入源とする新聞社は、何とか多くの部数が売れているように見せかけたい。「押し紙」「積み紙」とも言われ、朝日だけでなく多くの新聞社で、「実際に読者が注文するより多くの部数を販売店に押し付けたり、販売店が自主的に買う形で引き取っても配らず、店に積み上げて置くことが常態化しているのではないか」と、以前から販売現場の不明朗性の象徴として指摘されている。
このサイトを運営する黒薮哲哉氏が熱心に追いかけているテーマであるから、この欄の読者は知り尽くされていることだろう。週刊誌報道などによれば、店側がこうした実販売数以外の部数の引き取りを拒んだところ、担当社員が難色を示し、その際、公取委から注意を受けざるを得ないような不穏当な発言をしたのではないかとも想像される。ただ、渡辺社長は「朝日に押し紙はない、法に抵触することはしていない」と付け加えた。
もちろん、実際に偽装部数がトラブルの原因だったとしても、独占禁止法に触れる恐れがある。総会で渡辺社長が押し紙を認める訳はないのだが、偽装部数に関しては、これまでも店側と各新聞社の間でいくつも訴訟沙汰になっていて、新聞業界にとってアキレス腱とも言える。
◇「押し紙」が新聞社・販売店双方の重荷に
一方、権力側にとっては、新聞社は「生かさず殺さず」である。徹底的に敵視するより、いざという時、何らかの形で新聞社を制御出来る余地を残したい。相手の弱みを握り、「貸し」にする…。今回、公取委が「押し紙・積み紙」の徹底的な摘発に乗り出さず、「注意」に留めたのも、こんな思惑からではないのか。でも、本当にそうなら新聞社は、権力者の手の平で踊らされる。
そもそも新聞業界は、権力側に「借り」を作り過ぎている。消費税の軽減税率適用では朝日に限らず、新聞業界こぞって安倍政権に要望を続けて来た。定価販売を守るための「再販制度」の維持でも昔から陳情を繰り返し、販売店で作る団体は与党政治家に毎年、献金もしている。
慰安婦訂正報道の前にも、安倍首相と朝日社長の夜の会食があり、真偽はともかく「消費税軽減税率適用要望と訂正報道には何らかの関連があるのではないか」と、多くの人たちから疑念が呈された。
販売店の中には、読者に配らない部数の消費税負担も重なって、「今では偽装部数はもう限界。新聞社、販売店双方に重荷になっている」との声もある。読売がどうかは知る由はないが、朝日の販売減には、こんな部数整理の影響もあるのだろう。ただ、それだけではあるまい。昔からの固定読者が離れているのだ。
私が親しくしている元京大教授がいる。各地の放射能測定などを通じて反原発運動に取り組んでいる「市民環境研究所」(京都市左京区)代表理事でもある石田紀郎氏だ。氏は、昨年の会報にこんな一文を載せている。
「福島原発崩壊も4年前のこととなり、激しい脱原発運動の疲れもあろうが、多くの人の闘いは途切れることなく続いている。ところが我が家が何十年も購読し続けている朝日新聞の京都版には、集会記事の一行も掲載されなかった。去年もそうだったのかもしれない。安倍内閣や御用学会、御用財界、御用言論界などから叩かれ、消耗し、縮こまったからだろうか」。
「この数年の朝日新聞にはマスコミとしての気概が感じられない。言論界が御用になったたらおしまいであると新聞社は十分承知している筈だから、己の終末を認識しての振る舞いなのだろう。ボチボチ『朝日』との付き合いを閉じるのがよかろうと思いだした。市民研の仲間の何人かはすでに縁を切ったと聞いている」
私は記者をしていた25年以上も前から、「権力監視」に基づく3つの調査報道記事を朝日幹部から止められた経験がある(詳しくは拙書『報道弾圧』東京図書出版)。それ以来、社内での闘いを続けて来たから、現場記者はともかく経営陣が本気で「権力監視」する気がさらさらないのはよく知っている。しかし、固定読者にまでそれを悟られる紙面作りをするようでは、もう「おしまい」である。
朝日OBどうかではない。憲法改正の正念場を迎え、改憲メディアが力を伸ばしているこの時期、護憲メディアの代表格・朝日が自壊、「終末」を迎えれば、この国の言論バランスが崩れる。それを私は何より恐れる。
私はわずかな朝日株しか持たない零細株主だが、朝日が常々言って来た「ジャーナリズムの使命は権力監視」の原点に戻り、失った固定読者の信頼をどう回復するか。総会に出て経営陣に言っておかなければならないことは、幾つもあった。
◇ジャーナリズムの質の低下
渡辺社長の経営報告の後、質問の時間に移った。朝日は社説でこれまでも「開かれた総会」「企業の社会的責任を自覚し、徹底的な株主との議論」を一般企業にご託宣して来た。私はその通り朝日も総会を運営するよう、最初に釘を刺した。
その上で石田氏の文章を紹介。「何故、固定読者離れが起きているのか」から私は質問を始めた。この後、
①「本当に朝日に押し紙・積み紙問題はないのか」
②「権力に借りを作らないため、販売を含め、どう経営を改革するか」
③「固定読者の不満が強い紙面をどう変えるか」
④朝日の不倶戴天の敵とも言える文春のスクープばかりが目立つのに、「何故、朝日は大型の調査報道の特ダネがないのか」「権力監視の出来る強靭な編集現場をどう作るか」の順序で、徹底的に聞くつもりだった。
私は記者出身。やはり③④を重点的に論議しようと思った。朝日の固定読者離れが加速したのは、2014年に反朝日勢力からバッシングを受けた慰安婦、福島原発吉田調書報道訂正問題からであるのは確かだろう。ただ、この訂正そのものが、直接の信頼低下原因とまでは言いきれない。
朝日の固定読者には、「日本軍の強制連行があったか否か」より、従軍慰安婦が厳然と存在した「戦争」そのもののあり方を問題とする人が多い。それなのに、責任逃ればかり考える経営陣が、バッシングに過度に怯えた。新聞報道現場も朝日の社内事情も知らない外部の素人ばかり集め外部委員会を作り、的外れの改革案を作り、紙面低下させた…。むしろ、そのことにがっかりしている人が多いのではないだろうか。前述の石田氏がその典型だ。
慰安婦、調書報道訂正は、調査報道技術の未熟さと責任を取らず問題を先送りする幹部の派閥官僚体質が原因なのは明らかだ。しかし、改革案は「読者の意見を聞くパブリックエディター制度の導入」「多様な意見を載せるフォーラム面の新設」「訂正記事を集めるコーナーの新設」など、バッシング勢力にも配慮した小手先のものばかり。後輩らの話だと、改革案以来、「読者の声を反映する」として、それまで以上に編集現場に幹部の介入を強まったという。
昨年の安保報道で、憲法学者こぞって国会で安保法制違憲を表明する憲政史上初めての異例の展開でも腰が引け、一面トップ扱い出来なかったのも、そのなせる業だろう。
特定秘密保護法も法案成立当時、「これからも厳しく監視していく」と朝日は紙面で約束したはずだ。なのに、私たちフリージャーナリストが取り組んでいる東京地、高裁の違憲訴訟もほとんどまともな報道もしていない。
◇「開かれた総会」は幻想だった
確かに改革案には、おまけ程度に「調査報道をさまざまな形で充実 」との提言はある。しかし、中身は「見過ごされている問題に光を当て、情報技術も駆使して公表された資料から問題点を分析するデータジャーナリズムなど、デジタル時代に対応した新しい調査報道スタイルも追求」とある。
だが、調査報道経験の長い私に言わせれば、この程度の小手先の甘い考えで国政の流れを変えられる本格的な調査報道など出来る訳がない。権力内部に深く入り込む人脈を作り、ネットなどには出ているはずもない超極秘資料を持ち出せる圧倒的な取材力を持つ記者の育成が欠かせないのだ。
安保法制で、安倍政権は自衛隊が米軍の核弾頭も運べる法案を成立させた。それなら当然、核弾頭を自衛隊基地にどう隠し、どのような手順で運ぶかの密約があってもおかしくはない。もし、朝日がこんな特定秘密の一つでも入手し、特ダネで報じることが出来れば、国民世論が沸騰する安保国会の行方も変えられただろう。少なくとも固定読者の信頼の幾分かは取り戻せた。
しかし、朝日にそんな力量は残っていなかった。文春はそれをあざ笑うかのように、甘利、舛添問題で大臣、知事辞任につながるスクープを連発した。「後輩記者は何をしているのか」と、私は悔しくて仕方がない。でも、文春にこんな情報が入るのは、外部ライターを含め、人脈・取材力のある記者を多く抱えられる体制を整えているからだろう。
私はそんな朝日編集現場の脆弱性を徹底的に議論したかった。でも、「開かれた総会」などどこへやら…。質問は②の途中で「長いので」と、早くも止められた。何とか粘りに粘り、最後に再質問を試みた。でも、これも③の途中で止められた。
渡辺社長の答弁としてやっと引き出せたのは、「販売現場に違法行為はない」「安保報道で『頑張ってくれている』と読者からの声が届いている」「質問は私たちへのエールとして受け取りたい」だけ。「権力監視」の力量をどう再構築するかの危機感も、文春に対する悔しささえ微塵もなく、そのまま採決。一般企業のシャンシャン総会と何ら変わらなかった。
やはり石田氏が言う通り朝日は、バッシングで自らの寄って立つ基盤さえ見失い、「終末」への道を歩んでいるのだろうか。
≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)
フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える『報道弾圧』(東京図書出版)著者。フリージャーナリストによる特定秘密保護法違憲訴訟原告。