1. ABC部数の実態とは何か、黒書への情報提供、「新聞社の販売予算で自由に操作できる『あくまで予算部数』」

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2015年10月09日 (金曜日)

ABC部数の実態とは何か、黒書への情報提供、「新聞社の販売予算で自由に操作できる『あくまで予算部数』」

ABC部数の実態とは何かを指摘する新聞販売現場からの声が「黒書」に寄せられた。「黒書」は、定期的に新聞のABC部数の変化を紹介しているが、これらのデータは欺瞞(ぎまん)だという指摘である。

声を寄せたのは、新聞販売店の元店主と思われる人である。次のような指摘だ。(ただし、赤字は黒薮が印した。)

販売現場を離れて10年経つので、参考にしてください。各社の販売部数は年間予算が組まれています。それを月別展開し、ABC協会に報告させます。この部数はご存知のように実部数ではありません。あくまで予算部数であり、販売局承認の政策的部数です。今、新聞界も長期低落傾向は間違いありませんが、ABC部数だけで減少部数を判断するのは正確ではありません。正確な部数は販売店の所長しかわかりません。

   今、販売店は労務難、折り込み広告の減少、読者減で経営はかなり厳しくなって、余分に部数を抱えることが出来ない状況なので、販売担当員は補助金を出すか、同額分の部数を切ることをデスクと相談して実行します。

  新聞各社の実情は概ねこんなものでしょう。なのでABC部数が減少するのです。これは販売部長、局長了解のもとで実行されるのは言わずもがなです。

文中に「各社の販売部数は年間予算が組まれています」とあるが、これは次のような仕組みを意味しているようだ。普通の商売では、販売収入というものは、あくまで商品の販売成績の結果である。たとえば100円の商品を1000個販売する実績をあげれば、販売成績は10万円である。こんなことは改めて念を押すまでもなく常識である。

ところが新聞業の場合、新聞社があらかじめ販売収入の目標を決める。たとえばA店という新聞販売店の1日の売り上げ目標を10万円と決める。新聞1部が100円とすれば、10万円を売り上げを達成するために必要な部数は1000部である。

そこで1000部の新聞をA店に一方的に送りつける。A店が実際に1000部を配達しているかどうかは関知しない。たとえば600部しか配達していなくても、1000部を搬入して、1000部分の代金に相当する10万円を徴収する。配達されなかった400部は、広義の「押し紙」として処理される。

しかし、読者がいない400部もの新聞代金を販売店が負担すると経営が破綻する可能性があるので、補助金を支給する。この補助金も投稿者が指摘している新聞社の「予算」に含まれている。

結局、ABC部数といのは、新聞社の予算によってどうにでも操作できるというのが、投稿者の結論である。

◇不正を黙認という大罪

新聞社の土台にあたる部分で、予算の調整により公称部数の操作が行われてきた事実は重い。それを新聞記者が黙認してきたわけだから、新聞の信用そのものにかかわる。このように恣意的に、あるいはさして熟慮することなく「押し紙」報道を自粛している人々が制作する新聞を本当に信用していいのかという根本的な疑問が生じる。

新聞記者が集団で不正に口を閉ざしてきたのは、おそらく高給待遇を失うリスクを負ってまで、内部告発する意味はないという判断が働いているためだと思われる。

しかし、これだけ重大な社会問題を黙認すれば、公権力はこの部分につけいって「汚点」を逆手に取り、新聞が紙面上で本格的な政府批判などを始めた時に、「押し紙」を合法的に取り締まり、新聞社を経営破綻に追い込む策に打ってでかねない。その不安が新聞人たちを自粛させている。

日本の新聞が政府公報の域を一歩も脱することができないゆえんにほかならない。口をそろえて中央紙がTPPをPRしているのがその好例だ。これではジャーナリズムとしての存在価値がまったくない。国民を新自由主義の論理で洗脳することになってしまう。