1. 個人崇拝が盛んな東アジアの2つの国と2つのメディア、朝鮮と日本、朝鮮中央テレビとNHK

ウェブマガジンに関連する記事

個人崇拝が盛んな東アジアの2つの国と2つのメディア、朝鮮と日本、朝鮮中央テレビとNHK

東アジアに国民性とメディアが類似した2つの国がある。朝鮮と日本である。朝鮮では金正恩・朝鮮労働党委員長が絶大な人気をはくし、日本では5月1日に即位したばかりの徳仁天皇が絶大な人気をはくしている。彼らの人気を演出しているのは、朝鮮では朝鮮中央テレビであり、日本ではNHKである。他のマスコミも同じような個人崇拝をあおる報道で追随しているが、韓国中央テレビとNHKはそれが際立っている。

日本は、現在は議会制民主主義の国家であるが、1945年の敗戦までは、軍事独裁国家だった。『中国新聞』(4月19日)に掲載された著名な政治学者・渡辺治氏の「憲法との矛盾広がった 象徴天皇制と民主主義」と題する評論によると、戦争で天皇制国家が暴走したので、同じ過ちを繰り返さないように、憲法により天皇の権限を限定して、政治には関与しない体制にしたのだという。渡辺氏は、次ように述べている。

日本国憲法が天皇を象徴にしたのは、政治の全権力を天皇が握った明治憲法下で、植民地支配、侵略戦争が繰り返されたのを反省してのことだ。戦争の遂行に関して天皇は、議会はおろか内閣の意も聞かずに軍部の「輔翼」の下、事を進めることができた。これが、あの悲惨な戦争をズルズルと引き延ばし、日本人も含めアジアで2千万人といわれる命を奪った原因であった。

 現憲法は天皇を残したが、この経験を踏まえ、一切の政治的権限を剥奪し、憲法が列記する「国家行為」を内閣の助言と承認の下でのみ行う儀礼的存在にしたのである。」

実際、憲法の1条から8条で、天皇の位置づけを明確にした上で、9条で交戦権を禁止している。過去の戦争犯罪を反省し、しかし天皇の人気に十分に配慮した上で、戦争のできない国家像を示したのである。

ところが不思議なことに天皇の「業務」が多忙になり、「引退」を余儀なくされ、改元が行われたのである。

本来、皇帝など絶大な政治権力は、国家が近代化するにつれて衰えていくもので、日本の場合も例外ではない。しかし、日本では天皇の人気がアイドル並で、日本共産党でさえ、「令和」を祝福せざるを得ない状況になっている。近代化が、欧米に比べて大きく遅れているのだ。【続きはウェブマガジン】