博報堂と内閣府に対する国会質問、過去にも共産・吉井英勝氏ら6議員が、その後の改善は見られず
内閣府と博報堂のPR戦略に関する種々の疑惑などを指摘した国会質問が、これまで度々繰り返されていたことが分かった。以下で紹介するのは、筆者が調査したものである。綿密に調べれば、さらに増える可能性もある。
しかし、国会質問で指摘され問題点は、ほとんど改善されていない。博報堂や内閣府は、その後も延々と疑惑まみれの業務を続けている。
筆者が調査したところ、国会での追及は2005年から始まり、最も新しい国会質問は、竹本直一議員(自民)によるもので、これは博報堂が福島で除染作業に関する業務を請け負っている疑問を質問したものである。
質問者を政党別にみると、民主党が3人、共産党が2人、自民党が1人。超党派で広告代理店のありかたに疑問を呈してきたことが分かる。
次に示すのは、各議員の議事録の関連部である。
◇6議員の国会議事録
岡崎トミ子(民主):「天下り」と随意契約の関係(H18年)
竹本直一(自民):博報堂が9億6000万円で除染作業(H24)
末松義規議員(民主):環境省からも博報堂へ3年で約90億円の国家予算を注入(H19年)
五十嵐文彦(民主):スリード社の随意契約をめぐる内閣府の疑惑(H17年)
佐々木憲昭(共産):不透明な落札と国策プロパガンダ(H17年)
吉井英勝(共産):不透明な入札・博報堂に5人の国家公務員が天下り(H19年)
◇広告代理店に対するタブー
筆者は共産党には、すでに国会議事録をふくむ博報堂関係の膨大な資料を提供している。共産党は、現在、この問題を調査中である。共産党は、やはり汚職の問題には敏感で、これまでも辣腕ぶりを発揮してきた。安倍首相とメディア企業幹部の「会食」についても、繰り返し報道している。
1980年代に国会で「押し紙」問題を最初に取り上げたのも共産党である。
国会には内閣委員会という委員会があり、当然、内閣府の問題は内閣委員会が中心になって解決することになる。メンバーは次の方である。
広告代理店の問題を大手のマスコミが積極的に取り上げることはない。電通のケースがクローズアップされたのは、電通が記者会見を開いて非を認めたからである。また、インターネットメディアの影響力が大きくなっていたからである。
記者会見という点でいえば、博報堂に対しても、国勢調査の公共広告(告示)を「間引き」していた問題で、「記者会見を開いて謝罪すべき」との声が上がっているが、今のところその気配はない。と、なればこの問題を調査している筆者としては、国会の内閣委員会の議員にも、この問題をはじめとする博報堂関連の資料を提供せざるを得なくなる。
ちなみに国税局、証券等取引監視委員会、東証、会計検査院、公正取引委員会、金融庁、あずさ監査法人(博報堂の監査法人)などにも、昨年の暮れあたりから断続的に関係資料を提供している。今月の20日にも、国税局で博報堂関連の資料の説明を行った。
◇反省もなければ改善もない
同じ問題を繰り返し指摘しても、博報堂の実態はまったく改善されない。
筆者は、「押し紙」問題でも同じ体験をしている。「押し紙」は、厳密に言えば戦前からあるのだが、新聞業界は1980年代に国会で問題を繰り返し指摘されても、「押し紙」政策を廃止しなかった。2007年ごろから雑誌が次々と「押し紙」問題を取り上げた際も、「押し紙」は1部も存在しないと開き直った。あげくの果て、裁判を起こした輩までいる。しかし、今、とうとう崩壊の寸前まで追い詰められたのである。
広告代理店や新聞社の経営実態が検証されないのは、取材対象がそのまま取材の当事者であるからだ。とりわけ現在の広告依存型の報道モデルの下では、広告代理店の批判は、みずからの首を絞めることなのである。
一方、大学の研究者も巨大メディアを批判すれば、自分の評論などを発表する場を失うリスクが高くなるので、メディアの問題には沈黙する傾向がある。取材を申し込んでも応じない。ダメなひとが大半を占める。「押し紙」問題でも、同じ態度を取り続けた。
と、なれば筆者も戦略を考案しなければならない。ダイレクトメールやインターネットを使って、ピンポイントで、あるいは不特定多数に情報を提供していく以外に選択肢はない。近々に国会の内閣委員会所属の議員全員に博報堂関連の資料を配布する予定だ。それでも動かなければ刑事告発(背任・詐欺)という段取りになるだろう。
【写真】博報堂と内閣府の8億円プロジェクトの報告書
博報堂に5人の国家公務員が天下り、2007年の国会・内閣委員会でも、共産党の吉井英勝議員が指摘
内閣府、あるいは内閣官房(総理直属の機関)から博報堂への「天下り」が慣行化している実態が過去の国会議事録などから分かった。
現時点でも、博報堂への天下りは、少なくとも阪本和道氏(元内閣府審議官)と、田幸大輔氏(元広報室参事官補佐・広報戦略推進官)のケースが判明している。他の省庁からのものを含めると、松田昇氏(元最高検刑事部長)、前川信一氏(元大阪府警察学校長)、蛭田正則氏(元警視庁地域部長)らも博報堂、あるいはその持株会社である博報堂DYホールディングスに再就職している。
国家予算の一部が形を変えて、彼らに報酬として支払われていることになる。
なんのために博報堂グループが退職した国家公務員を受け入れているのかについては、個々の元国家公務員か、内閣府を取材しなければ分からないにもかかわらず、「天下り」の連携プレーを演じている当事者らは、阪本氏らの再就職は合法で「天下り」に該当しないという詭弁(きべん)を弄しているので、真相解明の糸口すら掴めない。
彼らの詭弁がどのようなものであるかは、後述することにして、国家公務員らによる凄まじい天下りの実態を過去の国会議事録から紹介しよう。
◇過去にも博報堂に5名が天下り
2007年5月11日の国会。内閣委員会で共産党の吉井英勝議員(写真)は、内閣府と広告代理店の不透明な関係を、特に新聞の公共広告に特化して追及した。内閣府が募集する公共の新聞広告(国策プロパガンダの媒体)の入札が、表向きは競争入札になっているが、実態としては随意入札や談合になっている事実を指摘している。
もちろんこの国会質問は、博報堂の実態だけに特化したものではなく、電通を筆頭とする日本の広告業界全体の談合体質を糾弾しているのだが、その中に不透明な取り引きの背景に「天下り」があることを指摘している。
博報堂の場合は、「経済社会総合研究所総括政策研究官を最後に退職した丸岡淳助氏の二人の天下りがあるということになっております」と、述べているほか、他の省庁も含めた実態については、「衆院調査局の中央省庁の補助金等交付状況、事業発注状況及び国家公務員の再就職状況予備的調査によれば」「博報堂には五人、うち常勤三人」だと指摘している。
その上で吉井議員は、次のように公務員制度改革が機能していない実態を批判する。
政府広報を契約する内閣府の人が天下りをしていっている。そして、この入札の一連のいろいろな問題の中で、いろいろな疑念とか疑惑、そういったものが持たれるものについて、やはりまずこれを徹底的に解明する。そのことなしに公務員制度改革を口にするということは、私は、かなり筋が違うんじゃないか。改革を口にするんだったら、まず実態の究明、解明だということを言わなきゃならぬと思うんです。
◇天下りが後を絶たない本当の理由
「天下り」はなぜ後を絶たないのか?
答えは簡単で、言葉の定義にある。伝統的に司法の場では、天下りは官庁が国家公務員の退官後のポストを民間企業に設けさせて受け入れさせることを意味し、このような上からの強制がなければ、「天下り」とは解釈されないからだ。
実際には、「天下り」という言葉は、広義に国家公務員が取引先に再就職することを指しているが、司法の世界では、狭義の「天下り」にしか解釈されない。従って、再就職等監視委員会による調査基準も次のようにずさんなものになっている。
1 現職職員による他の職員・元職員の再就職依頼・情報提供等規制
2 現職職員による利害関係企業等への求職活動規制
3 再就職者(元職員)による元の職場への働きかけ規制
これでは、問題の根源を絶てるはずがない。また、彼らに問題を解決しようという気概もない。彼ら自分自身、退官後の再就職を希望しているからだろう。
◇国策プロパガンダと金
余談になるが、「押し紙」という言葉も、恣意的な解釈が行われている。たとえば「押し紙」裁判で読売の代理人を務めてきた自由人権協会・代表理事の喜田村洋一弁護士らは、読売には、過去も現在も、1部の「押し紙」も存在しないと主張してきたが、筆者が保存している裁判記録によると、そのひとつの根拠になっていたのが、なんと「押し紙」の定義である。喜田村弁護士らによれば、押し売りした証拠がない新聞は、「押し紙」ではないので、読売には1部も「押し紙」が存在しないという理論になるのだ。
司法の世界では、この程度の論理が通用してしまう危険性があるのだ。実社会では、社会通念からして、販売予定のない商品を多量に仕入れるバカはいないので、販売店に残っている新聞は押し売りされたものと解釈して、広義に「押し紙」と言っているのだが。
「天下り」という言葉にも、まったく同じ罠が潜んでいる。
博報堂の諸問題は、かなり以前から国会で問題になってきた事が過去の国会議事録から判明した。しかし、まったく改善されることなく今日に至っている。
今も同じことを繰り返しているのだ。
これにメスを入れるには、やはり公共広告の在り方、あるいは国策プロパガンダと公共広告、金について考える住民運動を組織することも必要ではないか。