1966年の袴田事件にみる読売記事を検証する、逮捕まえから実名報道「従業員『袴田』逮捕へ」 警察情報が裏目に
袴田巌氏が殺人で逮捕された事件の新聞報道を検証してみると、記者クラブや「サツまわり」を通じて、警察から得た話をもとに記事を書くことが、いかに危険であるかが浮かびあがってくる。事件が起きた1966年の新聞には、警察情報をうのみにして、袴田氏を犯人と決めつけた記事が並んでいる。
袴田氏が殺人で逮捕された事件は、静岡県清水市で起きた。6月30日の未明に味噌製造業を営む一家4人が殺害され、9月になって従業員の袴田巌氏が逮捕された。これが袴田冤罪事件の発端である。
◇皮切りは、「血染めの手ぬぐい押収」
一家殺害の5日後にあたる7月4日には、匿名とはいえ早くも袴田氏を容疑者とする記事が新聞に掲載された。『読売新聞』は、
「清水の殺人放火 有力な容疑者 血染めの手ぬぐい押収」
と、いう見出しで事件を報じた。また、『毎日新聞』は、
「清水の殺人放火 従業員『H』浮かぶ 血染めのシャツを発見」
と、報じた。
2つの記事は内容も見出しもそっくりだ。警察のリーク情報をもとに記事を書いたことが類似の要因にほかならない。
当時、警察がいかにしてマスコミを利用したかは、弁護士の秋山賢三氏が「精神障害者の獄中処遇?袴田巌氏の事例」(『精神神経学雑誌』2001年9月)の中で、次のように指摘している。「その事実(黒薮注:警察が自白を強要した事実)ができると、警察所長とか次席検事が大々的に記者会見して、『本日、袴田巌は自白いたしました』ということで、翌日の新聞やテレビ」で大きく報道された。
ちなみに秋山弁護士は、「精神障害者」として袴田氏を位置づけているが、これは死刑が確定した後、同氏が精神に異常をきたした事実を根拠としている。従って精神障害と犯罪の関係に言及したものではない。
参考までに、警察所長や次席検事に操られて、新聞はどのような記事を掲載したのだろうか。『読売新聞』の記事を検証してみよう。
◇早々に実名報道、「従業員『袴田』逮捕へ」
まず、逮捕前の8月18日の『読売(夕刊』)の記事である。タイトルは、「従業員『袴田』逮捕へ 清水の4人殺害」「令状とり、再調べ」「寝間着に油、被害者の血?」。
(略) その後の調べで、袴田の自室から押収したパジャマには他人の血や放火に使われたと同じ油がついていることがわかり、同本部では逮捕状をとって、袴田を連行したもの。
袴田は、この朝六時三十分ごろ清水署に連行されたが、クリーム色の半ソデシャツ、茶色のズボンというさっぱりしたふだん着でうす笑いさえ浮かべ、むしろ連行した刑事の方が緊張した表情だった。そして間もなく同署調べ室で調べがはじまったが、犯行を全面的に否認した。
しかし、同本部では?科学研の鑑定で、パジャマには袴田と同型のB型のほか、藤雄さんのものとみられるA型と長男雅一郎君のものらしいAB型の血液が検出されている?パジャマには、油ようのものが付着しており、これも放火に使った混合油とほぼ同じとの鑑定が出ている?出火当時のアリバイが不確実で、袴田は消火にかけつけた、といっているが出会った人がない。(略)
◇「『袴田』自供始める」
次に9月7日の『読売(朝刊)』の記事である。タイトルは、「『袴田』自供始める」「清水の四人殺し放火」「逮捕から20日目」。
(略)この日、取り調べ官が逮捕のきっかけとなったパジャマについていた血液について聞いたところ袴田は下を向いたまま涙をうかべ「血液は犯行のときについたものです」と、答えた。
「やっぱりお前の犯行ではないか」と厳しく追及すると袴田は、「あの事件はわたしが一人でやったことです」とうなだれた。
? このため正午から一時間昼食のため休憩し、そのあと犯行の動機、手口など本格的な取り調べをはじためが、放火に使ったガソリンについては「犯行前に藤雄さん方へしまっておいた」「侵入口は表のシャッターからはいったような気がする」「出るときは裏の開き戸だったと思う」など、検証結果と食い違うあいまいな返事をするだけで、七日午前零時近くまで続けられたが、核心については話さなかった。
しかし、捜査本部ではここまで自供すれば、全面自供も時間の問題とみている。(略)
◇推理小説なみの不自然な記述?
さらに、同9月7日の『読売(夕刊)』の記事である。タイトルは、「騒がれて逆上、犯行」「清水の四人殺し」「袴田、全面自供始める」。
(略)自供によると、袴田は前日の六月二十九日夕、犯行を決意、工場二階の自分の従業員寮で、寝ないで時間を待ち、三十日午前一時二十分ごろ起き出し、パジャマのうえに工場内の雨カッパを着て、東海道線線路向こうの藤雄さん方裏木戸からはいった。
表戸近くの店先まで侵入したとき、寝ていた藤雄さんに気づかれて大声をあげられ、あわてて裏口へ逃げたが、裏木戸付近でつかまって、体格のいい藤雄さんと格闘になり、持っていた小刀で藤雄さんを刺し殺してしまった。
あとは夢中で藤雄さんの大声で目をさました妻ちえ子さん(三九)と長男雅一郎君(一四)の寝ている八畳間で二人を刺し殺し、起きてきた二女扶示子さん(一七)も殺してしまった。予想以上の大きな犯行となり、思案にくれたが、焼いてしまえばあとが残らないと考え、一人一人に手で油をかけ、藤雄さん方のマッチで一人ずつ火をつけて、裏木戸からにげた。(略)
三流の推理小説のような、不自然な記述が目立つ。
◇「袴田元被告に『名誉ベルト』、WBCが贈呈へ」
逮捕から46年後、袴田氏は事実上無罪となり、釈放された。すると今度は袴田氏を英雄扱いにする記事が登場する。3月31日付けの読売(電子版)だ。 タイトルは、「袴田元被告に『名誉ベルト』、WBCが贈呈へ」。
「袴田事件」で再審が認められた元プロボクサーの袴田巌元被告(78)に対し、世界ボクシング評議会(WBC)が名誉王者のベルトを授与することが正式に決まった。??
? WBCから連絡があったことを31日、東日本ボクシング協会の大橋秀行会長が明らかにした。授与式は4月6日、ダブル世界タイトル戦に合わせて東京・大田区総合体育館で行われ、体調不良の袴田さんに代わり、姉の秀子さんが受け取る予定だという。
◇警察によるマスコミの利用
逮捕当時は袴田氏を犯人扱いにして、冤罪が判明すると、英雄視する新聞報道は、なにも読売に限ったことではない。
事実の誤認は、記者が人間である以上は、完全に避けることはできない。と、すればせめて間違った原因を明らかにして再発を防ぐべきだろう。
改めていうまでもなく、報道内容を誤ったのは、自分たちが警察に利用されているという認識がなかったからである。容疑者は隔離された状態におかれて、記者が直接取材できない事情は理解できるが、「役所」が発する情報にはウソが多分に含まれているという認識があれば、もっと違った書き方もできたのではないか。
なお、前出の秋山弁護士は、「精神障害者の獄中処遇?袴田巌氏の事例」(『精神神経学雑誌』2001年9月)の中で、袴田氏に対する取り調べの様子について次のように述べている。
多いときで1日に16時間30分という、長時間にわたる取り調べをやられたわけです。これは警察の文書にはっきり書いておりますし、一審の死刑判決を言い渡した静岡地裁も、判決理由で認定している事実です。その間、寝させない、あるいはトイレも、取調室に便器を持ち込んでやらせるというような、人権蹂躙した捜査の中で、彼は9月6日に初めて自白調書に指印させられました。それで、いわゆる最終日の23日目の9月9日に起訴ということになったわけであります。
こうした経緯は袴田氏の弁護士に取材すれば、簡単に分かったのではないだろうか?