「一日一善」「人類みな兄弟」、笹川良一氏による世論誘導と広告代理店の大罪
世論誘導は、半ば日常的に行われているにもかかわらず、意外に認識されていない。空気のような存在だ。かつて日本船舶振興会が、「一日一善」とか、「人類みな兄弟」といったフレーズのテレビCMを垂れ流していた。CMには、同振興会のトップ・笹川良一氏も登場していた。
こうしたCMをどの広告代理店が制作していたのかは別にして、冷静に考えると恐ろしいCMである。「一日一善」を実行し、「人類みな兄弟」という気持ちを持てば、それで幸福を得られるかのような間違った思い込みが社会に浸透してしまうからだ。特に児童に対する影響が大きい。が、実はこれが洗脳なのだ。権力者による巧みな世論誘導なのだ。
哲学的な視点から言えば、観念論による洗脳の典型である。観念論というのは、簡単にいえば、心がけさえ良くすれば、幸福になれるという考え方である。その結果、「一日一善」とか、「人類みな兄弟」などという言葉と結びつく。その他、典型的な言葉として、「感謝」、「奉仕」、「愛国」などがある。
やっかいなことに、「一日一善」も「感謝」も「奉仕」もそれ自体は否定すべき行為ではない。むしろ歓迎すべき行為である。つまり批判の余地がないのだ。が、ここに洗脳のからくりが潜んでいるのだ。
1960年代に中央教育審議会が、「期待される人間像」という教育の方向性を打ち出して批判を浴びたことがあったが、その根底にある思想も、やはり観念論だった。心がけをよくして目上の人から、「期待される人間」になれば、それで幸福になれるという考えだ。これもある意味では真理で、否定のしようがない。逆説的に言えば、そこに洗脳の芽が潜んでいるのだ。
◇「世界人類が平和でありますように」
念を押すまでもなく、観念論の対局にあるのが、唯物論である。(※唯物論を物質至上主義と捉えるのは、誤解である)。これは人間の意識は外界の反映という観点(「存在が意識を決定する」)の哲学で、人間の内面よりも、むしろ外界の変革を目指す。外界を改善すれば、精神も豊になるという考えだ。
それゆえに革命の思想と結びついている。いくら「一日一善」を続けても、外界を客観的に変えない限りは、問題の根本的な解決はあり得ないとする考え方である。
1980年代、筆者は内戦中の中米グアテマラを取材したことがあるが、当時、キリスト教を名乗る奇妙な新興宗教が流行していた。その一方で、著しい経済格差と貧困という深刻な社会問題を、武装闘争による政府転覆で解決しようという社会運動があった。それを抑え込む手段として、軍による暴力と連動して、このような新興宗教が利用されていたのである。
改めていうまでもなく、日本で広がっているのは、観念論による世論誘導である。第1次安倍内閣の時代、安倍首相が、「美しい国」に象徴される心の教育や愛国心を強調していたのも理由のないことではない。
テレビや新聞の報道は、観念論の視点に立ったものが大半を占める。そのために社会格差の問題を報道したとしても、それを個人の努力不足や不運に原因があるかのように報じて、経済政策の失敗という客観的な原因には絶対に言及しない。
こうして大半の人々は、気づかないうちに観念論に洗脳されていく。「変革」
など出来ないことだと勘違いしてしまう。結果、社会問題に無関心な人々が増えている。
笹川氏が登場する冒頭のテレビCMが、意識的に観念論による世論誘導を狙っていることは、洗脳の手口を知る者であれば簡単に見抜ける。
こうしたCMで広告代理店もテレビも巨額の収益を得る。自分たちが制作するテレビCMが、国民全体にどのような影響を及ぼすかなどはまったく考えていないのではないか。
余談になるが広告代理店の中で博報堂は、教育関連の事業を展開している。あまり知られていないが、博報児童教育振興会という団体があり、熱心に日本語教育に取り組んでいる。しかし、その理事には、 観念論者である鈴木勲・日本弘道会会長らの名前もある。中山恭子(日本のこころ代表)議員の名前もある。今後、彼らが行っている「教育」の中身を調査する必要があるだろう。
ちなみに博報堂の創業家の瀬木庸介元社長は、1973年に社長を辞任した後、「世界人類が平和でありますように」で知られる白光真宏会の理事長になっている。(『博報堂120年史』)思想的な観点からみても、中央教育審議会の「期待される人間像」と同じ路線だったのである。
博報堂と内閣府、その他の省庁の関係を国策プロパガンダという観点からも検証する必要があるだろう。