1. 博報堂コンサルタンツの取締役に児玉誉士夫の側近・太刀川恒夫氏が就任していた、極右勢力と博報堂の関係、①

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2017年03月21日 (火曜日)

博報堂コンサルタンツの取締役に児玉誉士夫の側近・太刀川恒夫氏が就任していた、極右勢力と博報堂の関係、①

メディアの歴史をさかのぼってみると、ひとつの権力を手に入れた者が、次のステップとしてメディア支配を企てることがままある。世論誘導の道具に利用できるからである。

その典型的な例としては、読売新聞社に乗り込んだ元特高警察の高官・正力松太郎と博報堂の支配を企てた右翼の児玉誉士夫の例がある。

児玉と博報堂の関係を検証する際に、どうしても無視できないのが、博報堂事件である。これは昭和47年11月30日に、創業家の3代目である瀬木庸介社長を福井純一副社長が追放して、社長に就任した事件である。

日経新聞などの報道によると、福井氏は博報堂を私物化するために、みずからの資金で「亜土」を設立して、「博報堂の持ち株会社『伸和』の株を庸介氏から買い取ったり」「違法な方法で新株式割り当てなどで、『伸和』の株式83.5%を支配下に収めた」。伸和は「博報堂の発行済み株式の30%を保有」しており、博報堂は実質的に福井社長の支配下に置かれたのである。ちなみに福井氏は後に、特別背任容疑で逮捕され有罪になっている。

このお家騒動の時期に「伸和」に乗り込んできたのが、児玉氏の側近であり、等々木産業(株)の代表取締役である太刀川恒夫氏らだった。

◇児玉に協力を求めた博報堂

伸和は後に博報堂コンサルタンツに社名変更するのだが、このあたりの事情について、当時の『週刊サンケイ』(1976年)は次のように書いている。

特に、「伸和」が昨年7月に「博報堂コンサルタンツ」に社名変更した時に、太刀川が取締役に就任したことが、児玉ファミリーのマスコミ支配のための″博報堂進出″とみられている。

博報堂も児玉との関係を認め、『週刊サンケイ』に対して次のようにコメントしている。

「博報堂乗っ取りとか、児玉が何を狙っているとかいろいろいわれているけれど、まったくナンセンス。博報堂コンサルタンツの取締役になってもらったのは、僕の方から頭下げてきてもらったんですからね。将来いろんなことやってくうえで、いつ、何をということなく、必要になった時、考え方などを聞かせてほしい、そういうために役員になってもらったんですよ。福井さんと児玉さんが関係あると言われていますが、あれだって社長就任時に記念品をもって挨拶に行ったんで、何百人と回った中の1人ですよ。ええ、わたしも同席しました」(広田隆一郎、前博報堂取締役、前博報堂コンサルタンツ社長<肩書きは1976年同時>)

広田氏の言葉を借りれば、博報堂の側から、児玉氏に協力を求めていったのである。

その後、福井前社長の逮捕などもあったが、博報堂コンサルタンツは社名を変更しながら存続する。博報堂コンサルタンツの次は、日比谷コミニュケートコンサルタンツとなる。そして2001年(平成13年)に博報堂に合併したのだが、興味深いことに日比谷コミニュケートコンサルタンツの時代の会社登記簿に現在の博報堂の舵を取っている人々の名前が確認できる。たとえば次の方々である。

戸田裕一(博報堂代表取締役)

沢田邦彦(博報堂前取締役副社長・降格され現在は取締役)

児玉らが「乗り込んできた」時代の博報堂と現在の博報堂の接点については、今度、検証する必要があるが、少なくとも次の重大な事実が確認できる。

意外なことに内閣府の官僚や警察関係者の天下りは、この時代から始まって、現在まで続いているのである。極めて長期にわたる癒着なのだ。(続)