12年前にも内閣府で政府広報をめぐる疑惑が浮上、民主党の五十嵐文彦議員が追及
メディア黒書では、内閣府と博報堂のPR業務をめぐる不自然な取り引きについて報じてきたが、10年以上も前の2005年にも、内閣府のPR戦略に対して疑惑の声があがり、民主党の五十嵐文彦議員(写真)がこの問題で国会質問をしていたことが分かった。
問題となった事件は、2005年2月に発覚した。内閣府は、郵政民営化をPRするために「郵政民営化ってそうだったんだ通信」とのタイトルの折込広告を制作した。1億5000万円を国家予算から支出して、約1500万部を印刷して、2月20日に全国の地方紙に折り込んで配布したのである。
このPR企画を請け負ったのは、竹中平蔵・郵政民営化担当相の秘書の知人が経営する(有)スリードだった。同社の設立は、2004年3月で、常識的に考えれば、業務実績が極めて短く、内閣府から仕事を受注できる条件はない。それにもかかわらず、随意契約でこのPR企画を請け負うことになったのだ。
ちなみにスリードの谷部貢社長は、「大日本印刷に入社後、博報堂を経て独立し、同社を興した」(リベラルタイム)経歴の持ち主である。(『リベラルタイム』2005年10月号)。この時点で、間接的とはいえ、すでに博報堂と郵政、それに内閣府の接点が出来ている。
◇見積書が不可欠な随意契約
この問題をめぐって五十嵐議員が国会質問を行ったのは、2005年6月21日である。質問の中で五十嵐氏が問題にしているポイントのひとつは、内閣府とスリードの間で随意契約が結ばれた事実である。随意契約では、見積書を提出しなければならないが、それすらも行われていない。五十嵐氏は、次のようにこの点を指摘している。
この随意契約を私どもは、これは会計令29条違反、そしてまた、最後のページから2枚目ですがね、載せておりますが、 予算決算及び会計令の99条の6というのがあるんですが、これは、「契約担当官等は、随意契約によろうとするときは、なるべく2人以上の者から見積書を徹せなければならない。」という規程もございます。そして会計法29条の規定は、平たく言えば、よっぽどのことがない限りそれは競争入札をしなければないけない、一般競争入札が原則であると。
五十嵐議員は、一般入札が基本原則であると主張しているのだ。ところがスリード事件では、それが守られていない。
◇「総合評価入札」の実態とは
さて、メディア黒書で指摘している内閣府と博報堂の取り引きであるが、既報したようにプロジェクトの名称は「政府広報ブランドに基づく個別広報実施業務等」である。契約額は約6700万円。その他に、内閣府の説明によると、各作業の単価を設定して、見積書なしで、博報堂との話し合いにより、どんどん国家予算を支出できる恐るべき内容になっている。
その結果、2015年度はなんと約25億円の国家予算が博報堂へ流れた。
このプロジェクトの入札記録を調べたところ、「総合評価入札」であることが分かった。「総合評価入札」という言葉は、あまり聞かないが、入札価格以外の要素も決定に影響する。つまり「総合評価入札」では、数値を基準とした公平性は担保されていないということである。選ぶ側の主観が影響する。
経済産業省のガイドラインは、総合評価入札の特徴について次のように述べている。
予定価格の範囲内で最大限の事業成果を得るために、事業者の提案する技術力、創意工夫等が必要不可欠であり、また、それらの提案内容によって、事業の成果に相当程度の差異が生じると認められる事業です。
また、このようなタイプの事業は、とりわけ提案内容の新規性・創造性等に係る技術評価が重要視されるため、価格評価よりも技術評価に重点を置いた形での総合評価を行うこととしております。
この解釈からすれば、「政府広報ブランドに基づく個別広報実施業務等」は、実質的に随意契約に近いというのが筆者の見方である。もともと汚職の温床があると言えよう。
◇報じても問題が解決しない理由
改めて言うまでもなく、2005年に起こったスリードの事件と、昨年、筆者が指摘した博報堂のケースには類似点がある。いずれも契約の方法そのものが不自然なのだ。
これは筆者の推測になるが、スリード事件で随意契約の在り方が国会で問題になったから、内閣府は博報堂との契約を「総合評価入札」に変えたのではないだろうか。しかし、実態としてはほとんど同じである。内閣府は博報堂のアドバイスを受けて、PR構想を練った上で、湯水のように国家予算を博報堂へ支出しているのである。
その構想費の額も約6700万円。この金額自体が異常で、大きな疑惑がある。参考までに、会計検査院が開示した構想費の請求書を、紹介しておこう。
スリード事件は、『SPA』、『サンデー毎日』、『リベラルタイム』などが報じた。また、共産党の佐々木憲昭氏もこの問題を追及をしている。しかし、メスが入ることなく、今度は内閣府と博報堂に対する疑惑が発覚したのである。
日本のメディアの問題点は、おおよそこのあたりに潜んでいる。メスが入るまで、報道を続けなければならない。どのような話題が読者に受けるかではなくて、何が国民にとって重要なテーマであるかを見極めて、それを報じるべきだろう。