1. 国民投票法が護憲派に不利な理由(2)

大手広告代理店に関連する記事

2017年02月06日 (月曜日)

国民投票法が護憲派に不利な理由(2)

前回で、現行の国民投票法では護憲派の広告宣伝が決定的に不利な状況を説明した。整理すると以下のようになる。

① 改憲派は自民党を中心に結束して宣伝戦略を実行でき、最初から電通が担当することが決まっているのに対し、護憲派はバラバラで何も決まっていない。

② 改憲派は国会発議のスケジュールを想定できるのに対し、護憲派はあくまで発議阻止が大前提のため、国会発議後にようやく広告宣伝作業を開始する。この初動の差が大きい。

③ 改憲派は自民党の豊富な政党助成金、経団連を中心とした大企業からの献金を短時間で集めて広告宣伝に使えるのに対し、護憲派は国民のカンパが中心となると思われ、集めるのに時間を要する。さらに、集まる金額も桁が違うことが予想される

④ 改憲派は発議までのスケジュールを想定して広告発注を行い、TVCMのゴールデンタイムをはじめあらゆる広告媒体(新聞・雑誌・ラジオ・ネット・交通広告等)の優良枠を事前に抑えることが出来る。発注が遅れた護憲派のCMや広告は、視聴率などが低い「売れ残り枠」を埋めるだけになる可能性が高い。

⑤ もし投票日が発議後60日後の最も短い期間になった場合、改憲派は事前準備して発議後翌日から広告宣伝をフル回転(広告を放映・掲載)できるのに対し、護憲派がTVCMなどを放映開始できるのは(制作日数を考慮すると)どんなに早くても2〜3週間後となり、その間は改憲派の広告ばかりが放送・掲出されることになる。さらに週刊誌や月刊誌などへの広告掲載は既に優良枠を買い占められて、ほとんど掲載できないまま投票日を迎える可能性すらある。

【参考】前回の記事全文

◇資金力の差が広告効果の差に

以上のように、ざっと並べただけでも改憲派の有利は圧倒的だ。しかもそれを仕切るのは、日本最大の広告代理店、電通である。今のまま広告宣伝活動に何の制限もなければ、間違いなく上記のような展開となるだろう。
「そんな広告に騙される人はいない」などというのは、全く甘い幻想に過ぎない。国民投票は18歳以上に投票権があり、若い世代は「巨大な浮動票層」である。その層に向かって繰り返し「改憲YES」の広告が大量に展開されれば、相当数が影響を受けるのは火を見るよりも明らかだ。広告の持つ威力は、311以前に怒涛のように展開されていた原発広告によって、国民の7割以上が原発に肯定的になっていたことからも既に立証されている。

さらに、投下できる資金量の差は、CMの内容にも圧倒的な差をもたらす。改憲派はカネに物を言わせて大量のタレントを動員し、出演者が毎日変わる「日替わりCM」だって制作できる。好感度の高い著名人が多数出演して「改憲YES」「改憲、考えてみませんか」と毎日語りかければ、「そうなのかな」「あの人が言っているなら私もそうしようかな」と感じる人々は相当数にのぼるだろう。

◇資金力がメディアの論調をも左右

そして広告投入金額の差が、メディアの論調をも左右する危険性があるのは、やはり原発広告で立証済みだ。311以前、原発ムラから巨額の広告費を貰っていたメディアは、原発を批判する報道を殆ど行わなくなっていた。ましてや国民投票は短期決戦だから、投入金額に大きな差があれば、メディアがどちらの広告主を優先するかは明らかだ。もちろん表だっては「公平・公正」などと言いつつ、裏でこっそりと差をつける。以下にそのテクニックのいくつかを紹介しよう。

① スポットCMへの発注金額に大きな差がある場合、ゴールデンタイムなどの視聴率が高い時間帯に、金額が多い方のCMをより多く流す(ラジオも同様)

② 同じく発注金額が多ければ、通常はなかなか獲得できないタイム枠(提供枠)も優先的に確保が可能。

③ 一見公平に見える討論番組でも、例えば改憲派は若い評論家や著名人が出席するのに対し、護憲派は高齢評論家や学者ばかりを揃える、というように番組制作側による印象操作が可能。また、カメラワークによって映る表情や秒数で差をつけることも出来る。

④ ワイドショーなどの紹介でも、放映される時間に差をつける、コメンテータの論評で差をつける、そもそもコメンテータも改憲派多数にするなどの操作が可能。

⑤ 同様に、夜の報道番組に改憲派のCMが多数入れば、それだけでその番組が改憲押しであるように錯覚させることが可能。また、報道内容でも放映に時間差をつけたり、印象を偏らせたりすることが可能。
このように、特に電波メディアにおける広告資金量の差、発注タイミングの差は圧倒的な印象操作を生む可能性がある。所詮メディアは私企業であり、カネをくれる方になびくからだ。では上記のような状況を防ぐ手だてはあるのか。それには、おそらく以下のような規制を設けるしかないだろう。

◇テレビ広告の全面禁止が最良の策

①あらゆる宣伝広告の発注金額を改憲派・護憲派ともに同金額と規定し、上限を設ける(キャップ制)。例えば、予め総金額を100億円などと規定し、両陣営ともその金額の範囲内で使用メディアを選定、その内訳を公表する。

②TVやラジオCMの制作可能本数を予め規定する。

③先行発注による優良枠独占を防ぐため、広告発注のタイミングを同じにする。

④報道内容や報道回数、放映秒数などで公平性を損なわないよう、民放連に細かな規制を設定させ、違反した場合の罰則も設ける(努力目標では意味なし)

しかし上記のような資金規正を設けても、結局は影響力が強いテレビとネットメディアへの広告費集中は避けられないだろうし、そこに細かな規制を設けるのは相当困難だ。であるなら、思い切ってcにした方が一番スッキリすると思う。これは、一番影響力があるメディアが「資金量の差」によって歪むことを予め防ぐためだ。私は原発広告によってTVメディアが原発ムラにかしずいた歴史を知っているので、彼らの「善意」や「公平性」、「正義感」などは全く信用していない。だから広告費をゼロにし、その影響力が偏らないようにすべきと考える。

それに対しては「表現の自由の規制だ」と反対する向きもあるだろう。しかしこれは「表現の自由の規制」ではなく、最も影響力が大きい電波メディアにおける「公平性」を保つための「表現方法の規定」である。たとえテレビ広告がなくても、他メディアへの広告は可能なのだから、表現の自由規制にはあたらない。テレビ業界に属する人々は反対するだろう(業界の儲けがなくなるから)が、公平性の確保を考えれば、最初からTVCMをやめるのが一番良いはずなのだ。もちろん、これはかなり大ざっぱな私の考えであるから、諸兄の活発な議論を期待したい。